2010-01-01から1年間の記事一覧
知人とおしゃべりをしていた。 そのうち知人は、自身の連れ合いの愚痴を言い始めた。 聞いていると、そうした愚痴を子供にも言うらしい。 これは、いけない。 親が連れ合いの愚痴を子供に言っていたら、どういうことが起こるでしょう。 子どもが、いずれかの…
険夷もと胸中に滞らず 何ぞ異ならん浮雲の大空を過ぐるに 夜は静かなり海涛三万里 月明錫を飛ばして天風を下る (王陽明) この詩について、次のような理解があります。 「人には難儀な逆境と幸福な順境と、この二つがしじゅう替わりあってくるものでありま…
人間と動物の違いは、どういうところにあるのでしょうか。 私たち、多くの人は、人間には動物にない知性というものがあると学びました。 あるいは、人間は道具を生み出し、道具を使うが、動物はそれをしないと習いました。 しかし、昔の日本人は、そのように…
この話は、いのちの自覚というよりも、いのちを生きていることの覚悟というか、いのちを終えることの覚悟といったほうがよいのでしょう。 現代に生きる私たちは、そのような教えや導きを受けることがほとんどありませんから、わかるといっても本当のところは…
ピープルファーストという言葉がある。 これは、知的な障害のある人たちのグループ、組織、活動の名称として、米国の知的な障害をもつ人たち自身によって作られ、使われるようになった言葉(名称)です。 ピープルファーストは、「私たちは、まず何よりも人間…
人々のために役立つことを思い立ち、色々やって来たが、やればやるほど心中寂寥の感があるのを如何ともすることができない。何故か。(岡田武彦『陽明学つれづれ草』 この寂寥感を、何故と答えようか。 人のためとは、そもそもそこに己の傲慢があると言うべ…
上辺の生き方に翻弄されていて、なおそのことが分からない。 外物本位に生きていて、なお、己本位と思い込んで生きている。 何かおかしいと思いながら、何がおかしいのかがわからない。 どこまで考えても分からない。 わからないというのは、どこかおかしい…
さて、どのような生き方をするか。 金をたくさん得ようと頑張るのもよい。しかし、頑張りも過ぎてはいけない。 金をむさぼるように頑張ると、その身は富んでも自身の内実は飢えて貧しくなる。心のさもしい(いやしい)人であるというのはそのことである。こ…
人間は皆平等だ、皆対等であるべきだ、と学んできた者、 そうやって教わってきた者のなかには、人間はみな同じだと思い込んでいる者がいる。あるいは、そう信じたくて、そうに違いないと思おうとする者も多い。 そして、何かと何かが混同されていたりする。…
自分が弱いと、何かにつけて事から逃げるばかりになります。 自分というものも、気の強くなれているときがあったり、気が弱くなっているときがあったりします。 「気」というのですが、たくましくいられているときと、そうでないときがあるといってもいいで…
しっかりとした人間になるための努力というのは、じっくりと時間をかけて取り組まなければならない。 もともと、とびきりすぐれた人間はいないのである。 一足飛びにしっかりとした人間になれるわけではない。 立ち上がったり転んだり、進んだり退いたりする…
自分というものを考える時、心(こころ)という言葉は使わない方がよいでしょう。 たとえば、「私の心は・・・」とか、「私の心が・・・」というようにです。 つまり、自分を考える時、そのように考えない方がよいということです。 自分、つまり「私」というも…
自分を見失うことは、人間、誰しもあることです。 では、何によって自分を見失うのか。 それには、いろいろあります。 たとえば、 欲によって、自分を見失う。 懼(おそ)れによって、自分を見失う。 哀(かな)しみによって、自分を見失う。 喜びによって、…
生きることの学び、生き方の学びというものは、自分がその時に必要とするものを学ぶことにあります。 ここでいうのは、言葉や話による学びのことです。 たとえ立派そうな誰かが、良いことをいっているからと言って、その人を学ぼうとするのでは、自分を生き…
党派や派閥などといっさい縁がなく、ひっそりと人と世の中をながめていた。 少しシャイな話し方、しぐさ、他人へのいたわり、私的なことの領域に対するつつしみ。 細やかな神経が通っていて、しかもちっとも窮屈ではない。 いつものほほんとしている感じで、…
人間ばかりを相手にしていては、心は狭くなる。 人間のことばかりを考えていたのでも、心は狭くなる。 勉強をするなどと称して、字面を追うばかりしていても、心は狭くなる。 高尚になろうとして、言葉を弄んでばかりいても、心は狭くなる。 無機物ばかりを…
皆それぞれにそれぞれの「私」を生きながら、ともに在る生を生きている。 こういうと、どうも宗教めいてくるが、 これは宗教ではなく、生きる学びのなかで考えられたことだ。 天地懐我、 我亦懐天地。
強欲は良くない、とは誰しも知ることです。 しかし、自身の欲の大きさに気づかぬうちに、いつの間にかそういう人間になっていたりもするものです。 そういう場合は、手近な利得に心が奪われ、もっと大切なものを失うことになるでしょう。 「嗚呼、何のために…
自分というものは、常に失われがちになるものです。 ひょっとすると、夜の眠りがあるから、失われずにすんでいるのかもしれません。 自分が失われていないからといって、では、まったく失われていないかというと、いつも、大方失われているのが、常人の常と…
善人は、悪、あるいは悪人と出くわすと、ずいぶん心を悩ます。あるいはエネルギーを消耗する。 悪というものは非常に強い。 悪人は何事によらず攻撃的である。そして、人を責める。 相手が手強いと思うと、いっそう攻撃力を強める。 また、悪人ほど団結する…
日々に出会うことは、まことに多い。 気弱になっていたり、臆病になっていると、 今日はどんな厄介なことが起こるのだろうとか、厄介なことが起こったらどうしようとか考えて、無駄なエネルギーを消耗し、おまけに一層、自らを臆病にしてしまう。 しかし、こ…
欲望をすべて達成できるかのように、いつの間にか思い込んでしまうのは、感情の常である。 そして、その感情を誰しもが持っているのである。 しかし、いかなる人でも、欲望を完全に満たすことはできないし、 いかなる人でも、欲望を除き去ることもできない。…
中国の古い言葉に次のような文がある。 この膝一たび屈すれば、また伸ぶべからず。 相手に一度膝を屈すれば、再びその膝を伸ばすことはできない、という意味である。 相手というのも、いろいろある。 ここはひとまずこちらが折れておこうなどと頭を下げたり…
世にりっぱな人と目される者であっても、人間としてりっぱだと言えない者が多い。 このことはよく知っておくべきである。 政治家が世を治めるを知らず、 財界人が済民を知らず、 医者が人のいのちを知らず、 心理家が人の生くるを知らず、 教育者が人を育て…
奴隷的生き方というと、どうもインパクトが強すぎるが、しかし、「本来の自分として生きているか」と問われて、「生きられていません」と答えるなら、考えてしまうかもしれない。 比較の目にとらわれ、世間的な相場を気にし、自分以外の人やものに支配されて…
人間のことは複雑なもので、始終人間は幸福を追求して止まない。世界を挙げて如何にして人間が幸福になれるかということを追求している。ところが何が幸福かがよくわかっていない。分かれば分かるほど分からぬものです。禍かと思えばそこに福が倚っている。…
あなたが自然に従うのと、自然があなたに従うのと、どちらが正しいと思いますか。 このことについて、答えてくれませんか。 いずれにしろいつか立ち去らねばならぬところを少々早く立ち去ったところで、それがどうしたというのでしょう。 我々が意を用いねば…
自分はどのように生きるのか、生きるべきなのか、また、いかに死すべきか、あるいは、日々にどのように行動すべきなのか、どのように行動すべきでないのか、 これを学ぼうとするのが、本来の学びである。 これは、現在の教育制度でいう勉強とは異なる学びな…
どのように生きたらよいかというのを、自分の外に見い出そうとしてはいけない。 外に見い出そうと、どれほどエネルギーを費やしても、むなしさばかり募ることだろう。一時期はこれだと思うこともあろうが、それは満たされた気になるだけである。 いかに生き…
今の時代、気をつけなければ、いつの間にか利害ばかりで物事を考えるようになってしまいます。 今日は、損得で物事を考えない者は馬鹿者のように見られる風潮がありますから、なおさらそうですね。 利害のことを考えるだけならまだよいのですが、自分がどう…