2008-03-01から1ヶ月間の記事一覧
子供が聞いたんだ。 「大人になったら、強くなるの?」 「そうだよ。大人になったら、強くなるよ。」 「でも、おじいちゃんは泣いていたよ。」 それで、 子供を抱きしめて言ったんだ。 「大人でも、悲しいときは泣くんだよ。」
男は、女に夢を見るようだ。 理想の女性像をもっているというか、追い求めるところがあるようだ。 子供のころからいろいろな女の子に出会って、青年期になって、いろいろな女性に出会って、そして、良いと思う人と結婚して、それでもやっぱりさらなる女性像…
人間は、生まれながらに孤独だ、などと言えてるうちはいいけれど、本当に孤独を感じ始めたらどうなるのでしょう? 不安でしようがなくなりますね。 恐怖かもしれません。 イメージ的には、いつも母親のスカートのすそを持っていないと安心できない、そういう…
男と女、我と汝、生と死、そして、善と悪も、可も不可も、 相互に依存しあっている。 片方だけでは成り立たない。 物は彼に非(あら)ざるはなく、物は是(こ)れに非(あら)ざるはなし。 それでもやっぱりどちらかにこだわってしまう。 しようがないじゃな…
日頃は、誰しも、言葉に限界があることをどこかで知っていて、 それでもって、言葉のやり取りをしている。 だけど、時々、何かの拍子に、その感覚を失ってしまう。 だから、 無意味な議論に時間を費やしたり(空理空論に遊ぶ)、 言葉尻を捕らえてののしりあ…
春は、うらら、って感じ、いいと思いませんか? だから、こんな歌を! 桜の花の咲く頃は うらら うららと 日はうらら ガラスの窓さえ みなうらら 学校の庭さえ みなうらら 河原でひばりの鳴く頃は うらら うららと 日はうらら 乳牛舎(ちちや)の牛さえ みな…
人を好きにさせておいて・・・、とぼやいている友人がいる。 人を好きにさせておいて、俺は一体どうすればいいんだあ~、と頭をかきむしっている。 もがいている。 見ていて、気の毒である。 一人、酒をちびちびやっていたもう一人が、 そういう奴っているん…
力のある者は、力を使う。 何も、不思議なことではない。 良いとか悪いとかを抜きにして、そういうものなのだ。 もちろん、使うかどうかは、その者しだいだ。 また、使うべきかどうか、使うのが得策かどうか、を考えるのも、力を持つ者しだいだ。 しかし、力…
僕は、ピアスをやたらつけているのも、髪をやたら染めるているのも、タトゥーを見るのも、気持ちよくないんだ。 若いときに腕に火傷を負ったことがある。 日を置いて父に会ったとき、「こんなになってしまったよ」と、僕は軽い気持ちでその傷跡を父に見せた…
Junoとかいう映画を旅先で見たんだ。 イギリス映画だと思う。 16歳の女の子が同級生の男子生徒とセックスをして、妊娠してしまうんだ。 ごく普通の、不真面目、不品行というのではない感じの女の子と男の子として、両者を描いているのだけどね。 それ…
再び、「愛よ愛よ」から。 下のようなフレーズがある。 遠く遠く登る坂道 足を止めれば追い越されてく ・・・ 重い荷物一人でしょって、息を切らせば先を越される 急いで行けば短い命 のんびり行けば長い道のり ・・・ (「愛よ愛よ(かなよかなよ)」作詞・…
桜を愛する国民とは、どこの国の人たちでしょう? もちろん日本の人たちです。 日本全国、どこへ行っても桜の名所がある。 桜のたくさん咲く公園がある、城がある、お寺がある、神社がある、学校がある、川原がある、山がある。 こんなにすばらしい国って、…
孝、道之美、百行之本也 自身の父母を大切にできなくてどうします。 「孝は百行の本」という言葉があります。 孝行はもろもろの善行の基だという意味だそうです。 自身の父母を人前で大切にする行為を恥ずかしがる人もいます。 そういう社会は、悲しいですね…
笑顔のいい人について書いたけれど、 こういう歌詞があるね。 …あなたがそっと微笑むだけで、温かくなる人がいるから… …あなたが笑顔忘れるだけで、心が痛む人がいるから… (「愛よ愛よ(かなよかなよ)」作詞;宮沢和史 歌;夏川りみ) 恋人同士のようにも…
落ち込んで 穴の中が、結構快適だという場合も、多々あるのね。
あいつは怠け者だと定評のある友だちに言われたんだよね。 休みの日に、人を働かそうとする輩がいるんだ。 休みだからといって、平気で会合に呼び出そうとする輩がいるんだ。 仕事を終えてるだろうからといって、平気で用向きを頼んでくる輩がいるんだ。 そ…
笑顔のいい人がいる。 この人の笑顔を見ると、楽しくなったり、ほっとしたり、うれしくなったりする。 この人の笑顔が、みんなを楽しくしたり、ほっとさせたり、うれしくしたりする。 こういう人は、大事にしないといけない。 こういう人の笑顔を消さないよ…
仕事から逃げるのは、趣味みたいなものなのだから、これはこれで仕方がない。
如何に生きるかは、私しだいだが、 如何に生きられるかは、私の力を超えたものだ。
人生において、知は、蓄えるものではなく、喰うものだ。 そして、喰う以上は、しっかり排泄もしなければならない。 これができないと、人は病むようになる。 社会にそのような人が増えると、社会が病むようになる。 政治家や官僚にそのような人が増えると、…
自分に正直に生きるなどということは、まず、できないことだと心得なければならない。 しかし、まったくできないわけではない。 できるときもあれば、できないときもあるということだ。 また、できることもあれば、できないこともあるということだ。 ならば…
私というものは、いつもどこか不安定だ。 しかしそれは、私がときに大きく不安定であったり、ときにしっかりとした私であったりと、その間を、ゆれるということだ。 それは、誰しもに言える当たり前の状態だ。 私とは、そういうものだ。 怖いのは、その私が…
死にたくないという欲求は、生きる欲求を基としている。 生きたいという欲求は、生きる欲求の意識化である。 私というものは、この生きる欲求の基に生かされ、生きている。
知への過信 知を信頼し過ぎると、真を見誤る。 知への過信が、人を真からますます遠ざける。 真は、常にAでもありBでもあるが、知によって、それらは分断され、真は真でなくなる。 その知によって、真はますます私から離れていく。
言葉というものは、人間が創り出したもので、そもそもが不自然なものと言える。 だから、真そのものを示すのに、言葉を使って、いつもどこか、なにか不足する。 そこで、さらに言葉を足して、その不足を補おうとすると、それをすればするほど、真から遠ざか…
中年の友人が打ち沈んでいる。 私「どうしたんだい?」 友人「大事な人を失った気がするよ!」 私「いったいどうして!」 友人「私のところによく話をしに来る若い人がいてね。彼はたくさんの話を私にしたんだ。何回も彼は私を訪ねてきたよ。なかなかいい青…
論じれば論じるほど、見えなくなってしまうものがある。 それって、何? 誰もが知っているものだ。
汚れてしまったものを綺麗にするのは難しい。 時々だけど、心も、おんなじだと思ったりするんだよね。
こころなんてどうでもいいやって思うときもあるのね。
全幅の信頼を寄せている人に裏切られた場合、 ひどいときには、自分で自分が信じられないところまで行ってしまう。 相手の問題のはずなのに、自分の問題へ行っちゃうところが、 なんとも苦しくて、やりきれないところなんだ。