2008-09-01から1ヶ月間の記事一覧

してやったのにと怒り出す

人助けをしてとか、誰かのために何かをして、その挙句に、その誰かをののしったり、攻撃したい気持ちになったりすることはないだろうか。 そういう時は、なぜ、自分がその助けの行動をしたかを考えてみなければならない。 それは、自分がしたくてしたのでは…

障害をもつ子供たち

障害児の問題行動とか、障害児と健常児の狭間にいるような子の問題行動とか、まあ、対処する大人の側からは、あつかいにくい行動は全部問題行動にされてしまうのだけど、一人ひとりの子供の側から見ると、どの行動もそれなりに意味があったりして、そう嫌が…

感性が押さえ込まれる

感性というものは、さまざまな知識を身に着けていくことによって、しだいしだいに自分の奥の方へと押しやられていくみたいなんだ。 この知識っていうのは、覚えないといけないことなんかがそうだけど、そればかりじゃなくって、周りのみんなと同じようにやっ…

教師たちに

人として、大人として、生きていくのに大切なことに次のことがあると思います。 それらは、 思いやりや、やさしさ。 正しい行いをすること。 人を敬うこと。 人間として生きるための叡智をもつこと。 約束を守ること。 これらは、大人の人間の個人個人が大切…

死の受容と受動的生き方

人間は誰しも死ぬことを避けることはできない。 なかには、自分は元気だと思っていても、余命幾日と死を宣告される人もある。 自分の生き方が弱気だと悩んでいる人も多いようなのだが、人が死に直面するということを考えたときには、人生を受動的に生きてい…

いのちを生きる

いのちほど純粋なものはないだろうに、 人間は、 なぜにこうも、 いのちを汚して生きるのだろうね。

モンスター・ペアレント

モンスター・ペアレントが出たといって、驚いてはいけない。 モンスター・ストユーデントもいれば、モンスター・スタッフだっているのだからね。

目の病気

人が物に見えるというのは、拝金主義によって生じる眼病である。

神を拝む者たち

神を拝む者が、みな神を崇める者であるかというと、必ずしもそうではない。 なぜなら、世間には、神をだしに使って、自分の欲を満たそうとする者もいるからだ。 神の周りにはそういう者も集まるということを知っているのは、生きるうえで大事なことだ。

自立的生き方と依存的生き方と

依存には、より稚拙なものからより成熟したものまであるようなのね。 「じりつ、じりつ」とわいわい言う人のなかには、われわれが相互依存の関係を断ち切っては生きられないということを忘れて、そう叫んでいる人が多いみたいなのね。 たとえば、社会福祉を…

責任の取り方と逃げ方

責任のとり方にもいろいろあるが、これは責任の取り方ではなくて、逃げ方の話だな。 逃げ方と責任とをどう関連させるかというと、「責任をとって辞任いたします」というやつだ。 責任のとり方にもいろいろあるな。 自害をして、責任を取る人もいるな。昔、武…

正しい人がいると苦しい

正しい親を持った子供は不幸かもしれないね。 正しい夫を持った妻は不幸かもしれないね。 正しい妻を持った夫も不幸かもしれないね。 正しい姑を持った嫁さんも不幸だろうね。 年老いて、正しい子供をもった親も不幸だろうね。 当人は、いつも、当人の考えて…

こころって、何?

こころ、こころ、ってあれこれ話をしているやつに、友人が言ったんだ。 「お前、心がどこにあるか、知ってるのか?」 するとそいつは、ちょっと戸惑ったけど、 「ここにあるのさ!」って、胸に手を当てた。 意地の悪い友人は、 「お前、その心を見たことがあ…

苦労と思わずにできる

傍目から見て苦労だと思えることでも、苦労だと思えずにできるということがある。 なぜだと思う? それはね、それをすることをその人が好きだからなんだ。

自覚的存在であることを追い求める

「人生への出発点はいつかといえば、まさに受胎の瞬間とみなすべきであろう。・・・自覚的存在であるのが特徴といわれる人間なのに、その生の出発点が、自分にも他人にも気づかれないのだ。人生は発端からして人間の意識を超え、同じく終末も意識のまどろみ…

生きたくもないいのち

「生きたくもないのに生かされているいのち」と言う者もある。 ここには、生きたくもないいのちがある。

いのちの尊厳性

庭の片隅でげじげじを見た。 私は、持っていた移植鏝をそのからだに振り下ろした。 げじげじのからだは二つに裂かれ、なおも動いていた。 私は、その一層おぞましくなった姿を見まいとして、足でそれに土をかぶせた。 私は、あのような虫が生理的に嫌いなの…

幸せな時間

幸福というものは、身近な日常のなかにこそあるのです。 では、身近な日常の生活のなかで、どのようなときに幸せ感を味わっているといえるでしょう。 日常の生活のなかで、何事にも囚われない自由な心でいるときにこそ、幸せというものがあるのです。 仕事の…

人を愛せ!

彼は、確かにこう言ったのです。 「あなた自身を愛しなさい、人間を愛しなさい、という要求には納得しますが、あなたの周りにいる一人ひとりの人、そしてそれらすべての人々を愛しなさいという要求には、私はこたえることができません。」

老いた者と若い者との考え方の違い

老いを迎えて生きるものと、これから社会に出ようとするものとでは、いかに生きるかの考えに違いがあってよいのです。 若い人が、老いた人の生き方とその考え方に大きく影響を受けすぎるのもどうかと思います。 また、互いにそれらの違いを尊重できることも…

生きるための価値観と社会

経済(至上)主義とは、経済的利益をすべてに優先させる立場のことだ。これが人の生き方の価値観を侵食すると、金こそもっとも大切なものだ、ということになる。 また、経済至上主義は、効率主義と切り離すことができない。効率主義が求めるのは、速さである…

異なる生き方

厄介なのは、経済至上主義。そして、これにくっついている効率優先主義。 これらの考え方が厄介なのだけど、それより厄介なのは、こうした考え方を信奉する人たちやこうした価値観に飲み込まれている人たちなんだな。 そして、周りを見れば、ほとんどすべて…

引きこもりと明るさと

引きこもりの子について、知人と話していたら、彼がこう言ったんだ。 昼の明るさは、彼らにとっては明るすぎるのです。それは苦痛や痛みを彼らに与えるのです。彼らは、自分にあった明るさを選んでいるのです。 なるほどなあって思いましたね。

本を読む

一冊のお気に入りの本やお気に入りの作家に出会うために、乱読、多読をするのだけれど、子供のころのようには、なかなか出会えない。 何が、どう変わったんだろうなあ。 現実に圧倒されて、本の中に入っていくことができなくなっているのかもしれないなあ。

純粋さが汚されたら

純粋さが踏みにじられると、人はなかなか立ち上がれない。 なぜかというと、 拭いても拭いても、純粋さから汚れが取れないからなんだ。 じゃあ、どうすればいいかというと、 もっともっと純粋さに自信を持っている、そういう人に出会うことだ。

無責任社会もここまで来たか

総理大臣、辞めちゃいましたね。 無責任社会もここまで来たか、って感じがしましたね。 ケツまくって逃げ出したって感じかなあ。 無責任社会のダメ押しみたいなものだね。 ダメだと思ったら、ケツまくって逃げなさいってか? 俺なんて、働く意欲も失いかけち…