2009-12-01から1ヶ月間の記事一覧
それぞれの人が、それぞれの「私」に見合った、もっとも「私」らしい生き方を願い、求めて生きること、 それこそ、それぞれの自分というものの特性を最大限にまで生かす、いのちの生き方なのだろう。 そしてそれは、 生きている限り完成されることのない、継…
親が子どもを愛するのは自然の条理といえるが、それも度が過ぎれば、本来の親の愛から離れて、私意に陥ったものとなる。 そういうときには、心を静め、心の本体を知るように努めることによって、自分の感情に溺れることなく、分限に従うことができるようにな…
自分や家庭が幸せの小高い山のうえにあるときには、なかなかそれとは気がつかない。 もし、気がついたなら、今一度しっかりとそれに気づき、感謝の念を持つとよい。 そして、そのことを通して慎み深く生きる姿勢を再び持つとよい。 人生の厳しい状況にあると…
「私」というものは、一生成長するものだ。 人間というものは、そのように生まれている。 しかし、我欲に捕らわれると、本来もっている成長のエネルギーもそちらへ流されることになる。 成長も留まることになる。 自身にもともとあるものに目を向けることで…
自分の存在価値を比較価値で求めようとしてはいけない。 また、外にあるものを見て、見い出そうとしてはいけない。 まず、私欲から離れなければならない。 そして、 自身というもの、自身の内、また、自らを真に知ろうとしなければならない。 それは、理解と…
人間は本来どこまでも大きな存在であるのに、 自分で自分を小さく限定してしまう。 幼い頃は本来のままであるが、 長じては、自らが自らを限定してしまって、小さな存在にしてしまう。 そして、往々にして、自ら小さな存在として生きることになる。
古人の跡を求めず、古人の求めたものを求めよ とは、南山大師の言とのことである。 古人の跡を求めるとは、単に知を肥やすことであり、浅薄な私欲に基づく行為である。 一方、古人の求めたものを求めるとは、人間として普遍的に求めてやまないものを求めてい…
「わかる」というところには、必ず「つながり」というものがあるのです。 また、「つながっている」ということに気づくと、素直に「わかってくる」ものです。 「わかる」とは、そういうものです。 本当に「わかった」というところには、主体も客体もないので…
正しいとすることを、頭でだけで理解していると、行動の上において、大きな過ちを犯すことになる。 事の大小、軽重があることをわきまえていなければ、小さな信義を守って、大きな信義を失う。
「私」というものを、折々に摑みなおし、まさに「私」であることを確認しなければ、あいまいな私のままに、さも「私」であるかのように生きているに過ぎなくなる。 私欲の日に生ずること、地上の塵の如く。一日掃わざれば便ち又一層有るを。 (伝習録)
仁は人の安宅なり。 義は人の正路なり。 安宅をむなしうして居らず。 正路を捨てて由(よ)らず。 哀しいかな。 (孟子) 仁とは愛だ。義とは人が胸を張って歩む正しい道だ。 その仁は人間の住む快適な住居であり、義は人間の歩く大道なのだ。 それなのに快…
人はそれぞれに「私」が見ようとしたものしか見えない。 それは、その人の目が見るものではない。 「私」が見たものなのだ。 それは、「私」しだいで善も悪に見え、悪も善に見えるということだ。 そこに真理があっても、「私」しだいでそれが見えない、とい…
本当の道徳は、言葉に表せば平凡なものだ。 (老子・三十五) いまや、気取って言わなければ、人は聞く耳を持たない。 それほど、人の目も耳も口も鼻も、珍しいものを欲しがっている。 それは、もはや子どもから年寄りまでそうなのだ。
人間には皆、よい、わるいを直感的に判断する力、やむにやまれぬ倫理的本能がそなわっている。 (cf:松崎『林良斎』) これを良知というが、 私欲へのとらわれが強くなればなるほど、この良知の働きが翳ってくる。 人は生きるにあたって、つねづね私欲に大き…
考えても考えても考えつくせぬ私というものがある。 それは、私を超えた超越的な私だ。 その私は、絶えず私そのものを分化し、しかし分裂させず、私を統一し、維持し、発展させようとする大いなる私である。
造化の創造に参する。 生きるとはそういうことだ。
同じいのちでも、人が生きるのと鳥獣が生きているのとでは、大いに異なる。 人にとって、 生きていることが真理である。誠実に生きることで真理も誠実になる。 (岡田武彦『陽明学つれづれ草』 それぞれに、「私」というものは、生きることを常に知っていな…
本当に熱心に仕事をして、それでもって生きるエネルギーを失いかけているような、そんな友人に、いま一人の友人が語りかけている。 お前は、仕事をまじめにしすぎている。 誰のために仕事をしているんだ! 仕事のために仕事をしているのではないか? 上司や…
人間は死ぬまで成長するものだ。 成長とは、新しい変化だ。 成長とは、変化して、新しく成ることだ。 それは、人間が成っていくことだ。 そういう生きる営みは、いのちを終えるまで続く。 たとえ、本人が拒もうと、 我々は、そういう力をもって生まれてきた…
物事ばかり教えられていると、人はいつの間にか、自分の根を見失ってしまう。 そんなわけで、 教育を拒む者は、自身の根が断ち切られまいと、そうするのかもしれない。