2012-01-01から1年間の記事一覧

人生のしっかりとした歩み

人生の中盤からの歩みといったほうが良いのかもしれません。 人によれば、若い時からそのような歩みができる人もいます。 しかし、人生の中盤からは、あるいは後半には、そのような歩みをこそ大切にしなければならないでしょう。 足の裏で歩け、 一歩一歩大…

迷い-大いなる私と小なる私

周りの雑多な価値に心が眩まされているから、迷い続けるのです。 あれが良いのではないか、これが良いのではないか、と迷い続けるのです。 ああでもない、こうでもない、と迷い続けるのです。 自身がいかに生きればよいか、迷い続けるのです。 本当の自分、…

欲に左右される

自身のその「欲」に問題があると知りながら、 それに従っているのは、 結局は、そういう自分に負けていることを、 自分が許しているのです。 欲は、日々に、また折々に、出てまいります。 知らず知らずに出てまいります。 知らず知らずに膨らんでもまいりま…

主人公

「主人公」 「はい」 「目を覚ましていなさいよ」 「はい、はい」 (無門関) 主人公とは、自分の真己、真我、本体、御本体である。 この「主人公」は、悟らねば見えぬという人がいるかもしれないが、思えばわかるはずである。 自身がそれを曇らせているから…

過去へこだわる

自分の過去にこだわっていたのでは、自分の今を充分に生きられない。 それでは、よりよく生きられない。 過去に大いなる成功をした者も、大きな幸せを得た者も、 大いなる苦悩に打ちひしがれた者も、大きな不幸に遭遇した者も、 その過去にこだわっている者…

人としての道を歩む

人としての道を歩み、なおかつ、それをつくってゆく。 それを、最後までできることが、よい人生なのだろう。 そして、最後の最後には、大いなるものに委ねるようにして、その人生を終えられたなら、 やはり、これが人の道に違いない。 二宮尊徳は言う。 自然…

人間として

人間としての人格は、天からもらったものだから、 自分からその人格を毀傷(きしょう)しないことが、 天に報いることになるのだ。 (大塩中斎『洗心洞箚記』) 天からもらったなどというと、何のことだというかもしれないが、 人間としての人格は、己が生ん…

生きることと学び

人間は、一生学んで生きるようにできています。 本当は、あらゆる生き物がそうだといえるのでしょうが、 人間の場合は、学ぶことを自覚して生きるようにできているのです。 ここで学ぶというのは、「自己をより成らしめるべく」学ぶ、という意味です。 そし…

一体の観と分別

内外合一、物我一体の観は誠による(参:中庸) 私の内と外、物と私、他者と私、これらの区別のない世界に自らの誠がある。あるいは自らの誠がそれらの区別をなくす。 しかし、分別の知が勝ちすぎると、自らにある誠の輝きを鈍らせ、一体を失わせる。 しかし…

人を見る目をもつ

胸に一物のある人間は、普通一般の考えておることと違ったことをひょいと言って、みんなを刺激したり驚かせたりするものです。(安岡正篤『呻吟語を読む』) 人を騙して金を巻き上げるような人間にも気をつけなければならないが、たいそう偉い人間であると思…

物欲にくらまされないように生きる

物欲にくらまされぬことが、天理を明察し、これを体忍する上で、なくてはならぬことである。(参:岡田武彦『座禅と静座』) 物欲は、私利私欲などの上辺の快を求める欲求です。 「くらまされる」とは、見えなくされることです。 ですから、 「上辺の快を求…

心の統一作用

心の統一とは書きましたが、やはり、「心の」はないほうがよいのでしょう。 統一作用を伴わない分化には、成長はなく、存在性もない。 そういう自身の生や存在性を知る時、そこに神聖さを感じ、自身の生に尊厳性を抱くのです。 そして、「私」を、また、「私…

涙の出どころ

人は理屈なしに、涙がこぼれるようにありたい。われわれは理屈がぎっしりつまっておるから、涙の道が塞がって、なかなかでてきません。(山田準『陽明学講話』) ここでいう涙は、清き涙です。 そういう涙を流すことのできる自身を、大切にしなければなりま…

自分らしさ

誰でも自分らしくしか生きられない。 だが自分らしくだけは生きられる。 (参・邑井操『収容所列島の人間学』) 何をもって自分らしくか、などとぐだぐだと考えないことです。 今、為さねばならないことを、為すのです。 そこから、自分らしさは生まれてくる…

愚人・愚民

謙虚は美徳であるが、謙虚さを弁えない者に対する謙虚は、愚行であり、愚人、愚民のすることだ。 愚民を育てるには、愚人に育てさせるのが最もよい。 愚人、愚民を釣り、操るには、甘言、美辞麗句に限る。 くれぐれも、愚人、愚民にならぬように! 愚人、愚…

養い育てる自分

ここでいう「養い育てる」とは、自分自身についてのことです。 「私」に与えられているものを、「私」はただこれをよく保持し、失わないようにして、また、傷つけないようにして、そして、これをよく養って育てていかなければなりません。 天が我々に命じ与…

努力すべきこと

人道は勤るを以て尊しとし、自然に任ずるを尊ばず、夫(それ)人道の勤むべきは、己に克(かつ)の教なり、己は私欲也、私欲は田畑に譬れば草なり、克つとは、此田畑に生ずる草を取捨るを云、己に克つは、我心の田畑に生ずる草をけづり捨、とり捨て、我心の…

為すべきことを為せ

為すべきことを為せ! そうしなければ、 成るはずのものも成らないのです。 考えるから、わからないのです。

最適を求める

結局は何が最適かなどは、わからないのです。 それは、定まるものではないのです。 それを定めようとすればするほど、その定まったものを求めようとすればするほど、もがくことになります。時には自滅の道をも歩むことになります。 最適は定めようとすれば失…

人は一つの小天地であるので

平平常常、その中にこそ無窮の妙処がそなわっているのです。 人は一つの小天地ですから、天地に似ないところがあるならば、正しい道から反れた歩みをしているのでしょう。 正しく、自らの生を生きようとするならば、天地生々の徳を体認すべく在らねばなりま…

幸せ探しと似ている

幸せ探しもよく似ています。 「私」は、「私」というところにいつもいなければならないのですが。 本当に簡単なことなのですが、本当に手近なことなのですが、私たちは遠くに求めようとするのです。 はかなくも 悟りいづこと求めけん 誠の道は 我に具わる(…

自身を生きる

自身を生きるとは、自身を生かすことであり、自身を活かすことでもあります。 その自身とは、私利私欲で形成する個我ではありません。 自身ではありますが、その奥には自身などないという自身です。 そういう自身を拠り所とする生き方を失わないようにしなけ…

自分自身であること

自分が真に自分自身であるように 「私」というものが、正に私自身であるように 「私」の軸足は、正に私自身になければなりません。 「私」は「私」でありながら、しかし、その「私」の軸が「私」の外、「私」以外のところにあることの方が多いのです。 外物…

人の欲と宇宙自然の公平

天は公平無私なれども、万遍なく満足せしむることはできない。(宇野哲人『中庸』) 田を耕すものは雨を欲し、刈るものは晴を欲す。 去るもの順風を得て来たるものは怨む、若し人人をして祷りてすなわち遂げしめば、造物まさに須(すべから)く千変すべし (…

生き方と人との勝ち負け

「どう生きるか」と考えてまず思うことは、「自分を生かす」ということではないか。 「どう暮らすか」も大切だが、「自分をどう生かすか」の方も負けないくらい大切ではないか。・・・ ・・・負けまい負けまいと考えているだけでは、目に見えぬ「敵」に心が…

常人は

常人は則ち虚を失へり、焉ぞ之を語るに足らんや。(大塩中斎『洗心洞箚記』) 「常人は」というのは、大抵の人はということでよいのでしょう。 「虚」は「太虚」。これは本来失われるものではない。 大抵の人は、心の大本、その人の「私」の大本を見失ってい…

困難との遭遇と人の生き方

人は、その人生の過程にあって、人の力ではどうすることもできないような困難事態に遭遇することがあります。 そういうなかにあって、自身の人生では、自力、自己努力の重要性を常に知っていて、そして、知っているだけではなく、それに務めなければならない…

人の世界と神仏の世界

人というのは弱い存在ですから、 というよりも、人は時にたいへん弱くなることがあるので、 それで、神仏の世界に近づき過ぎたりもいたします。 結果、非社会的ならまだよいですが、反社会的となったりもいたします。 非社会的ならまだよいといっても、それ…

やめるべきこととすべきこと

やめるべきこと。 これをすぐに思いつくなら、それはすぐさまやめるべきでしょう。 我々はやむにやまれぬことは平気でやめるが、 やめてもよいことは一生懸命にやる。 お恥ずかしいことであります。 (参:山田準『言誌録講話』) やめてもよいことというの…

自分をしっかり生きていく

自分をしっかり生きていく。 自分をしっかり創り上げていく。 しっかりとした自分を創ってゆく。 それは自分にしかできないこと。 それは自分がすることです。 人間生活の一番深い、一番本質的な望みは、 あくまでも一個の人生の理趣を知ることである。 人生…