2009-09-01から1ヶ月間の記事一覧

自分を変える

昨日、ラジオを聴いていて、次のような言葉を耳にした。確かに、と思ったので控えておく。 人は、変えようとしても、そうそう変わるものではない。 その人自身が、変わりたいと思わなければ変わらない。 第一の文は、特に、人を導こうとする者に対して参考に…

道はどこに

「・・・私の道はどこにありましょうか」 「道は前にあります、まっすぐにお行きなさい」 (種田山頭火、行きずりの問答より) (再掲です。) 近頃よく頭に浮かんでくるお気に入りの言葉です。 道は、生きているかぎり・・・です。

偏固

抑圧されているとか、排除されているとか、搾取されているなどと教えこまれた者は、 その相手と思われる者を、 平気で抑圧し、排除し、 その者から平気で奪う者になる。 これは、国家であっても、集団であっても、男と女であっても、個人であっても、言える…

どう生きようがかまわない

人がどう生きようがかまわない、などと聞くと、 どうもおもしろくない、納得がいかないなどという気持ちが出てくる人もいるかもしれない。 宗教家であったり、教師であったり、政治家であったり、司法官や保護司であったり、その他、人を導く立場の者がこう…

関係のなかの私

私というものは、関係のなかでしか生きられないのです。 孤独というのも、関係から生まれてきていますよね。 孤独で、寂しいというのも関係から生じてくるものですよね。 孤独でありたいという思いも、関係から生じるものですね。 自分なりに生きたいという…

ぼんやりとした私

私というものは、日々に、常に自覚していないと、すぐにあいまいになっていくものです。 奇妙に思う人も多いでしょうが、それは、大抵の人は、私は私で生きていると思っているからだけのことなのです。 そのくせ、実は、周りの人のことを気にしつつ、それに…

つながりのなかでの私

私という存在を、生きている一回性でばかりから考えるというのでは、十分といえません。 私の生は、過去の生のつながりから生きていますし、私の生は未来の生につなげるものとしてもあります。 未来の生については、残念ながら、それができない、できなかっ…

私というものの生き方

私というものをしっかりさせなければ、しっかりとした私の生き方はできないでしょう。 私の生き方というのは、死ぬまで続きます。とすると、しっかりとした私というものを常々にもち続けなければなりません。 その私は、他の何者でもなく、他の誰でもなく、…

啓発という教育

教育の仕方にもいろいろある。そして、教育の仕方によって、育てられる人間は変わる。 現在では、9割ほどが12年の教育を受け、さらにその5割は延べ14年以上、なかには18年以上の教育を受ける者も増えている。 しかし、いくら長年月の教育を受けたか…

象徴的出来事が示すもの

3人の方が署名をなさいました。 そのうちのお一人が、後に自らの署名を評して、子どものようと、まさに子どものように申されました。 きわめて象徴的な出来事でした。 キケロは、 人はむしろ不学、学ばざるにしかず、 と申したそうです。

人間との付き合い

人間というのは、もっとも理解の難しい生き物かもしれません。 だって考えても見てください。 人を殺したり、殺した人間を切り刻んだり、捨てたり、埋めたりもする。 わが子を殺したりもする。 わが親や兄弟を殺したりもする。 でも、そういう人間だって、生…

私と誠

私というものは、大宇宙のなかに生きていますよね。 そして、その宇宙の摂理のなかに生きているのですね。 でも、私そのものも一つの宇宙であって、それは小宇宙と言ってもいいと思うのですね。 私のなかに宇宙の摂理があって、そのなかで、また、私が生きて…

死を生きる

いのちを自覚して生きるというのは、自身に対して誠実な生き方になるに違いない。自分を大事に生きる生き方に違いない。さらに言えば、内にも外にも誠実に生きる生き方に違いない。 そして、それはなによりも真剣な生き方に違いない。 真剣とは、本当の太刀…

自己実現と助け

自己実現という言葉はいつごろからよく使われるようになったのだろう。 わかっているようで、うまく説明しにくい。 また、聞いていて、わかっているのかなあと思うときもあったりする。 創造的存在としての人間、大きな可能性を秘めた存在としての人間である…

救いについて、あれこれ

自力救済とか他力救済という言葉がある。 自力救済には、理性への信頼や性善説とか自己信頼とかという言葉がふさわしい。 他力救済は、他者による救い、究極は神や仏による救いだが、そうした絶対者による助けがなければ救われないということなのだ。 しかし…

情報ということ

情という字は、「こころ」とも読むようです。 そこから、五木寛之さんは、情報はこころを報じることではないかと言います。そして、今や、情報は数字や統計などの情報のなかで最も次元の低いものを意味していると書いています。また、情とは湿り気を帯びた人…

子ども電話相談室のこと

夏になると、NHKのラジオ放送で「夏休み子ども電話相談室」がある。 毎年、時々ではあるが、車の中でこれを聞く。 この夏も、印象深い一つの質問があった。 それは、確か、次のようなものだった。 「蚊は、生きていてうれしいのでしょうか。」 この質問を…

納得できないということ

納得できない思いをもって生きている人のなかに、幸せを得る人がいるに違いない。 納得とは、認める、承知する、という意味だ。 毎日の生活を省みれば、納得していることもあれば、納得できないこともある。 日々納得していることでも、あるときには、納得し…

幸せごろごろ

幸せなどというものは、自分の足元にごろごろといくらでも転がっている。 青い鳥の話だって、いってみれば同じことを言っているのだ。 自分自身のものの見方によって、いくらでも見つけることができるのだ。 しかし、さまざまに欲にとらわれていると、これが…