2008-10-01から1ヶ月間の記事一覧
昔も今も、自分はやっぱり混沌のままなのだけど、 でも、同じように混沌と言っても、少し違っていて、 昔の混沌はずっとずっと不透明で、今の混沌は少し透明感のある混沌なんだって!
人間は分別だけで生きられてはいない。 人間は無分別でも生きている。 人間は、分別と無分別でもって生きている。 だから、無分別をそれほど恐れなくてもいい。 無分別を恐れて、それを分別にしようと追うのは、自分の影を消そうと追いかけているようなもの…
いのちの力 それは、いのちはいのちを全うするようにできているってことかなあ。 有機体の成長へと向かわしめるいのちの力、そして、いのちの終焉へと向かわしめる力。 でも、いのちには、 どのいのちにも共通する根本的な力と、それぞれの種に共通するよう…
主知主義とか対立的なものの見方、考え方(これらは欧米的、あるいは大陸的なものの見方や考え方といえるかもしれません。)が勝ちすぎると歪が生じ、問題が生じます。 体忍という学びの重要さも深く検証することが必要ですし、これを表面的にではなく、深く…
初めての歯医者さんへ行ったのだが、何とも物腰のやさしい歯医者さんで、こちらが戸惑うほどだった。 それにしても、歯医者さんはいつごろから、患者をお客様のように扱うようになったのだろう。 どこで、それを身につけるのだろう。 まさか、大学で、そうい…
老いてゆく人たちのなかに、もし、種を持つ人があれば、その種はしっかり蒔いて欲しいと思います。 丁寧に蒔く必要などありません。 あちらこちらに、四方八方に蒔けばよいのです。 ぼろぼろと落として歩けばよいのです。 ある種は石の上に落ちるかもしれま…
日本人のものの見方、考え方、思想、関係性について、岡田武彦さんは、次のように書いています。 「・・・日本人は昔から理屈を言わないのであります。理屈を言わないのは、他と自分とを対立的に考えないからであります。すなわち物と自分とを対立的に考えな…
権利と責任は一対のものだ。 権利って言うけど、これには本当は社会的という言葉をつけてもいいんだ。 そして、それには、一対のものとして社会的責任があるんだ。 この責任について教えることが薄かった結果が、昨今のようなニュースになることにつながって…
巨大な根がはびこっている その行方は分からない 地上で生まれ枯れてゆく枝々の先に 無数の死体はぶら下がり それはやがて地に落ちるその下に 巨大な根がはびこっている (谷川俊太郎「マリファナ」の一節より) 私たちは根っこを離れては生きられません。 し…
他者の権利を侵害しない限りにおいて、自身の幸福を追求して生きてもよいなどという考え方は、欧米から来た、個人を優先した考え方だと思うんだよね。 だから、欧米流一辺倒で、このような考え方やものの見方でもって、あれこれ言っているえらい人たちの話は…
女の暴力というと・・・ クチなのだ。 クチの立つ女というのは、暴力を振るっているようなものだ。 何の痛みもないじゃないか、と言うかも知れないが、 実は、けっこう痛いのだ。 それが肉体ではないから、「痛い」と気づいていないだけなのだ。 それが証拠…
必ず、ことは成るのです。 なぜ、どうして、などと考えてばかりいてはいけません。 そうやって考えることを、あたかも賢い人間のすることだなどと思っているかのように、 深く考えようなどと、思いすぎてはいけません。 何か一つの言葉を信じている、という…
ただ考えているばかりでは、ことは成りません。また、自分も成りません。 芽吹いた芽があり、あなたは手に杓を持ち、そこには水が入っています。 でも、あなたはそうしたまま、考えています。 熱心に、考えています。 考えることがとても大事なことであるか…
三種類の人間がいるとか。 第一は、功利的存在としての人間 第二は、矛盾的相対的存在としての人間 第三は、道徳的存在としての人間 これらの三種の人間の第一は現実主義者、第二は超越主義者、第三は理想主義者です。 これら三種の人間は、それぞれ次のよう…
休みなく動きながら世界は広がっている 私はいつも世界に追いつけず 夕暮れや雨や巻雲の中に 自分の心を探し続ける (谷川俊太郎の詩の一節より) すぐ近くのものを見ていると、どんどん流れ去ってゆきます。 でも、遠くを見ていると、景色はそう早くは変わっ…
我々は、常に遅れる存在である。 文明・文化、知識・技術は常に変化進展している。 情報は常に流れ、新しく更新されていく。 誰がその最先端を常に生きられるだろうか。その最先端に生きられる者は、誰一人いないのである。 「テレビの解説者とか、大学教員…
己が生活しているにもかかわらず、生活感覚を持たないということがある。 こういう者が言う人間についての話は、あんまり感心して聞かなくてよろしい。 ただ、生活の要領くらいの話なら、多少役に立つかもしれんがな。
アカデミズムというのは、ふつうの暮らしから少しはなれたところにある。 だから、そこで使われる言葉(用語)は、ふつうの生活でよく使う言葉とは違っていて、専門用語などとも呼ばれる。これを、ふつうの生活に近づけて言うなら、業界用語と言ってもいい。 …