2013-02-01から1ヶ月間の記事一覧

私の本体

宇宙の本体が、元来純粋至善なれば、この本体をさずけて生まれたる吾人(われわれ)の心の本体は固(もと)より至善なりとするものなり。(王陽明/高瀬武次郎) 「心の本体」は、「私の本体」と読まなければなりません。

生きること五里霧中

それは何だろう、では見えてこないのです。 あれはこれだ、とわかっても見えてこないのです。 何をすべきか、それを探しても、それは知れるだけなのです。 それはなんだ、それはなんだ、と知ろうとする。 それはなんだ、それはなんだ、と思考する。 何をすべ…

人としての私

私を人たらしめるのは、私のみである。 人間は、畜生のようにもなる。 畜生どころか、畜生にも劣るほどの行いもする。 しかし、それも、私しだいなのです。 今の社会は、弱くなりました。 そして、やさしくもなりました。 また、自己を出させるようになり、…

大いなるものと私

人は神によって創られたものではなく、何方(いずかた)からか来て何方かに去るもの、来るところも去るところもまさに「何方」であって限定されていない。しかも去来せしめる運動も何物かによってなされる運動ではない。まさに、来たり去る宇宙の運動それ自…

有り難い

有り難い。 何が有り難いのか。 私がこうして生きていることが有り難いのです。 有り難いとは、存在が稀であるということです。 存在が稀であるというなかに、私というものが、間違いなく生きている。 だから、もったいない。 まったく尊い。 畏れ多い。 だ…