優柔不断型人間との関係

紅茶にしますか、コーヒーにしますかときかれて「うーん」と唸るばかりで即答しない人がいる。お茶ぐらいならまだよいが、就職するか進学するか、結婚するのかしないのかを決断できずに、しかたなく事のなりゆきにまかせてしまう人がいる。煮え切らない人とはこのような人のことである。一方、即決主義ではあるが、すぐ決心の変わる朝令暮改の人もいる。(國分康孝『人間関係がラクになる心理学』p.134.)

 

上記は、「決断力を養え」の節で書かれている冒頭部分である。さらに上記には、「それはどうしてか。」の文が加えられている。この節では、決断力がないのであるから、決断力を養うように!そして、そのためにはどうするか、ということが書かれている。

それについては、その部分を読んでいただいたら國分さんのお考えがわかる。

 

それとは別に、そういう言わば優柔不断の人と仕事をすることになったり生活することになったりすると、時に、誠に面倒だ、ということを言いたい。

 

ある程度の相性というものはある。例えば、Aは消極的かつ優柔不断で、Bは積極的でぐんぐんいく人ならば、ある程度まではうまくいくだろう。しかし、往々にしてやはりどちらもストレスを溜めることになる。Aはいつも強引に引っ張られる感じでストレスを持ち、Bはいつも引っ張っていかねばならないのでストレスを持つのである。だいたいBがイライラを口に出すようになる。

 

共にAのような人とか、共にBのような人だと、まだうまくいくのだろう。

 

また、優柔不断で、人に決めさせておいて、あとで陰で、あるいは面と向かって文句を言う人間も困る。こういうのは身内あるいは身内に近いような関係に見られる。夫婦とか家庭内とか仕事の仲間とかである。優柔不断の人間の甘えた性格によるもので、まことに厄介である。

 

もっとも、これらは人間関係からも生まれるものであるから、「俺に決めさせろ的人間」がいるなら、他方を優柔不断人間のようにさせるケースもある。この場合には、優柔不断的行動を強いられている方は、陰で「やれやれ」といって、ストレスを発散することになる。

 

即決的朝令暮改型人間の上司を持つ場合は、まことに難儀である。こういう人物は、組織にあって上司という立場になりようがないと思うかもしれないが、時にいるのである。まわりに人の良い者がいて、そうした人がこうした御仁のカバーをするので、そういう如何ともしがたい人でも上司と言える立場になってしまうのである。

往々こういう人間は、責任感なり、覚悟を持って生きていない。そのため下の者は、何らかの手立てをしなければ、最悪の状態で生き続けることになる。

 

優柔不断型人間に対しても、また即決的朝令暮改型人間に対しても、こうした人とあまりストレスを抱えずにうまくやれるのは、いい加減型とか、のらりくらり型とかの人間だろう。

物事に真剣に取り組もうとする人間は、関係を持つ上で向いていないのである。したがって大きなストレスを抱え込むことになる。

優柔不断型人間も即決的朝令暮改型人間も、いずれも換言すれば、のらりくらり型であり、いい加減型人間なのである。

そうなると、物事に真剣に取り組もうとする人間は、行動・言動方法を、のらりくらり型とかいい加減型人間に学ぶことで、多少のストレス調整はできるのかもしれない。

あまり長く関係が続くようなら、その関係を切る方法を模索することも必要になるかもしれない。関係は、「有り」から「無し」の間に色々あるので、もちろんこれも含めてのことである。