2010-11-01から1ヶ月間の記事一覧

我が本質を生きる

上辺の生き方に翻弄されていて、なおそのことが分からない。 外物本位に生きていて、なお、己本位と思い込んで生きている。 何かおかしいと思いながら、何がおかしいのかがわからない。 どこまで考えても分からない。 わからないというのは、どこかおかしい…

生き方の選択

さて、どのような生き方をするか。 金をたくさん得ようと頑張るのもよい。しかし、頑張りも過ぎてはいけない。 金をむさぼるように頑張ると、その身は富んでも自身の内実は飢えて貧しくなる。心のさもしい(いやしい)人であるというのはそのことである。こ…

同じということと違うということ

人間は皆平等だ、皆対等であるべきだ、と学んできた者、 そうやって教わってきた者のなかには、人間はみな同じだと思い込んでいる者がいる。あるいは、そう信じたくて、そうに違いないと思おうとする者も多い。 そして、何かと何かが混同されていたりする。…

弱さ

自分が弱いと、何かにつけて事から逃げるばかりになります。 自分というものも、気の強くなれているときがあったり、気が弱くなっているときがあったりします。 「気」というのですが、たくましくいられているときと、そうでないときがあるといってもいいで…

しっかりとした自分になるために

しっかりとした人間になるための努力というのは、じっくりと時間をかけて取り組まなければならない。 もともと、とびきりすぐれた人間はいないのである。 一足飛びにしっかりとした人間になれるわけではない。 立ち上がったり転んだり、進んだり退いたりする…

心(こころ)

自分というものを考える時、心(こころ)という言葉は使わない方がよいでしょう。 たとえば、「私の心は・・・」とか、「私の心が・・・」というようにです。 つまり、自分を考える時、そのように考えない方がよいということです。 自分、つまり「私」というも…

自分を見失う

自分を見失うことは、人間、誰しもあることです。 では、何によって自分を見失うのか。 それには、いろいろあります。 たとえば、 欲によって、自分を見失う。 懼(おそ)れによって、自分を見失う。 哀(かな)しみによって、自分を見失う。 喜びによって、…

生きることの学び

生きることの学び、生き方の学びというものは、自分がその時に必要とするものを学ぶことにあります。 ここでいうのは、言葉や話による学びのことです。 たとえ立派そうな誰かが、良いことをいっているからと言って、その人を学ぼうとするのでは、自分を生き…