#その他人文科学

後悔という病

後悔先に立たずと言う。 「後で悔いても取り返しがつかない」ということだが、だからといって処理すべきものはやはりそれなりに事後でも、いや事後であるからこそ、しっかりと処理しなければならない。 仕事の上のことなどは、まさにそうだろう。 一方、心の…

夫婦の関係と子供

知人とおしゃべりをしていた。 そのうち知人は、自身の連れ合いの愚痴を言い始めた。 聞いていると、そうした愚痴を子供にも言うらしい。 これは、いけない。 親が連れ合いの愚痴を子供に言っていたら、どういうことが起こるでしょう。 子どもが、いずれかの…

善人と悪人の勝敗

善人は、悪、あるいは悪人と出くわすと、ずいぶん心を悩ます。あるいはエネルギーを消耗する。 悪というものは非常に強い。 悪人は何事によらず攻撃的である。そして、人を責める。 相手が手強いと思うと、いっそう攻撃力を強める。 また、悪人ほど団結する…

母と父と

家庭のなかにあって、どっしりとして、しっかりとしていなければならないのは、母だ。 社会のなかにある家として、どっしりとして、しっかりとしていなければならないのは、父だ。 家庭のなかには、母としての役割、父としての役割がある。 そういうなかで、…

気がつく人と気がきく人と

ちょっとした人間関係で気がついたのだが、人にもいろいろな人がいて、「なかなか気がきくなあ」などと、人に思わせる人がいる。 もちろんこれには、相手にそう思わせようとしてそうする人もいる。 しかし、よく気がきく人というのは、必ずしも利害を意図し…

良い人間と悪い人間

人間に、良い人間、悪い人間の絶対的区別はない。 人間は、誰しも、心がけ次第で良い人間にもなるし悪い人間にもなる。 絶対的に良い人間という者は存在しないし、絶対的に悪い人間という者も存在しない。 したがって、誰しも、そのような者になれるわけでも…

道はどこに

「・・・私の道はどこにありましょうか」 「道は前にあります、まっすぐにお行きなさい」 (種田山頭火、行きずりの問答より) (再掲です。) 近頃よく頭に浮かんでくるお気に入りの言葉です。 道は、生きているかぎり・・・です。

偏固

抑圧されているとか、排除されているとか、搾取されているなどと教えこまれた者は、 その相手と思われる者を、 平気で抑圧し、排除し、 その者から平気で奪う者になる。 これは、国家であっても、集団であっても、男と女であっても、個人であっても、言える…

自己実現と助け

自己実現という言葉はいつごろからよく使われるようになったのだろう。 わかっているようで、うまく説明しにくい。 また、聞いていて、わかっているのかなあと思うときもあったりする。 創造的存在としての人間、大きな可能性を秘めた存在としての人間である…

女と男と慈愛

・・・郡長の家の門の所に大木があった。烏が巣を作って卵を産み、卵を温めていた。雄の烏はあちこちに飛び回って、餌を求めては、卵をかかえている雌の烏を養っていた。雄の烏が餌を探しに行った後、ほかの烏が入れ違いにやってきて雌の烏と交尾をした。雌…

謙遜と傲慢

どこまでも遜っていく。 その姿にも、傲慢さが見え隠れする。

他者との関係

他人(ひと)を自分と同じ人間だと思ってはいけない。

偽善者と悪魔

「嘴細烏(はしぼそがらす)は、死んだ羊を見て泪(なみだ)を流し、やがてそれを食ってしまう。・・・人間は、こういう不埒(ふらち)をするものだ。信心らしい面(つら)付きと殊勝らしい行体(ぎょうたい)で、悪魔根性に口あたりのよい外皮(ころも)を…

教育のこと

「人間は教育によってはじめて人間になる」という言葉がある。 確かにそうである。教育がなければ、人間は言葉も文字も覚えない。文化の継承も創造もない。よりよい社会づくりも為しえない。 それほど教育は大切なのだ。 教育がしっかりしていなければ、しっ…

忠について考える

忠という字は、中にこころ(心)と書きます。 これを、心のなかを満たすと説明をする人がいます。 心のなかを満たす。つまり充実させる。それは、誠実な姿だといいます。 私たちは、ともすると封建時代における忠、すなわち主君への、現在で言えば上の者への…

甘えた世界と子どもたち

大人たちによって、甘えた世界を提供されてきた子どもたちが、 青年となって、 今や、 彼ら、彼女たちが、 自分たちで、 甘えた世界を作り上げていく、 そういう段階にまで、 もう、きてしまっているのかもしれない。 それも、 一部の子どもたちではなく、 …

思いやる心について考える

思いやりとは、思いやること、あれこれと想像することです。 思いやりとは、あれこれと気のつくことです。 思いやりとは、他の者のことについて思い、その者の立場や気持ちを理解しようとすることです。 他のものを思いやる心がなければ、自分本位になってし…

人が信じられなくなると

人が信じられなくなると、 やたらこころを閉じてしまう人がいるかと思うと、 やたら攻撃的になる人がいる。 人が信じられなくなるってことは、 大変なことなのだ。

個人と人間相互の関係

現在は個人主義が行き届いている時代だ、と言えるのかもしれません。 人が「個人」を自覚するようになるのは、確かに良いことです。それぞれが自分をより自分らしく生きようとし始めるのですから。 しかし、難しいことも出てきます。それは、個人と個人、個…

品性と品行の別

品性ということについて考えようか。 人間には「品性の人」と「品行の人」という区別がある。 品行の人とは見せかけの品のよさを繕う人だ。地位やそれなりの財をなしている者の中には、こういう人が多い。こういう人の場合、それが見せかけであることを見抜…

好きだけど

好きなのに、好きだと言えないことがある。 しかし、 好きでも、好きだと言わない方が良い場合もあるだろう。

学ぶことと敬うことと

ある人の考えなり、理念なり、理論なり、価値観なり、世界観なり、宗教(認識)なりが良いと思えるからといって、あるいは共感、共鳴できるからといって、その人を敬い、信奉するのは誤りである。 なぜなら、人には長所があるとともに、必ず欠点があるからで…

私利私欲と人との関係

私利私欲で人を動かしたり、集団を動かしたり、組織を動かしたりしていると、その者はやがて潰される。 潰されるとは、捨てられたり、離脱させられたり、地位を奪われたり、職を奪われたり、ひどい場合には生命をも奪われるということだ。

信じているって怖いのだ。

自分が信じているものにこそ正義があると思っている人は厄介だ。 なかには、喧嘩をふっかけてきているのかと思ってしまうほどの人もいる。 当人はそう思ってはいないのだろうが、ご当人の信じているものに従えって言っているようなものだから、まあ、喧嘩を…

専門用語で普通の営みを語る

アカデミズムというのは、ふつうの暮らしから少しはなれたところにある。 だから、そこで使われる言葉(用語)は、ふつうの生活でよく使う言葉とは違っていて、専門用語などとも呼ばれる。これを、ふつうの生活に近づけて言うなら、業界用語と言ってもいい。 …

してやったのにと怒り出す

人助けをしてとか、誰かのために何かをして、その挙句に、その誰かをののしったり、攻撃したい気持ちになったりすることはないだろうか。 そういう時は、なぜ、自分がその助けの行動をしたかを考えてみなければならない。 それは、自分がしたくてしたのでは…

過剰な意識の問題

意識を研ぎ澄ますことは、有機体あるいは生活体が持っている健全な機能を疎外させることに繋がる。 だから、ひたすら考えることがよいことかというと、そうではないんだ。 逆の場合で言えば、ひたすら考えないといけない状態になっているってことは、そこに…

人を助ける方法の基礎

人を助ける方法にはいろいろあるが、 重要な考え方として、 人に力を与えるというよりも、その人間が持っている力を決して奪わない、ということがある。

人はどの程度の真実を話すのか

対話の相手に対して、人はどの程度の真実を話すのでしょうか。 もっぱら、常に5分の4程度の真実をもって話す人、 もっぱら、常に5分の3程度の真実をもって話す人、 もっぱら、常に5分の2程度の真実をもって話す人、 もっぱら、常に5分の1程度の真実をもって…

恋―こころと身体(からだ)

恋をすると、 本当に胸の痛みを覚えたりすることがあるよ。 これも、自分を、こころと身体に区別できない証拠だね。