2008-12-01から1ヶ月間の記事一覧

報道の悪を考える

世情が良いときでも、 世情が悪いときでも、 マスコミの報道に左右されたり、煽られてはいけない。 自身の目で、自身の周りをしっかりと見、 自身の身と心で、先行きを取らえて生きることは、いついかなるときでも大切なことだ。

慎ましい生き方を考えるとき

もし、心に余裕がもてるなら、 今こそ、慎ましい生き方とはどういうものかを、考えるときだろう。 慎ましい生き方をしなければ、どのようになるかを、考えるときだろう。

分相応の生き方を

人には、それぞれに、それ相応の分というものがある。 分とは、力量とか身の程ということだ。 人には、それぞれに力量というものがある、と言うのならよいが、 人には、それぞれに身の程というものがある、と言うなら、 平等論におかされた者は、わいわいと…

研究と学問と

学問をすることと研究をすることとは違う、という考え方がある。 そのように考えてみると、 研究者と呼ばれるほとんどの人たちは、学問をしていないことになる。

好きだけど

好きなのに、好きだと言えないことがある。 しかし、 好きでも、好きだと言わない方が良い場合もあるだろう。

あなたのため、君のために

結婚している者が、妻のために、あるいは夫のためにと思い、行動する。 子どもをもつ者が、子のためにと思い、行動する。 恋人をもつ者が、彼女のために、あるいは彼のためにと思い、行動する。 孫をもつ者が、孫のためにと思い、行動する。 老いた親をもつ…

教育熱心な行為

若木に水をやりすぎてはいけない。 教育や、躾や、人物を育てることや、 そういうことに熱心なあまり、過ちを犯すことがある。 その一つに、 若木へ水をやりすぎるて、のびやかに育つはずの芽を損なわせてしまう、ということがある。

言葉による自縛

言葉で生きていたのでは、活きるいのちも活かせまい。 言葉が、自分(たち)の身を縛るということがある。 自縛とは自らが自らの心を縛り、身を縛ることだ。 言葉による自縛の罠にはまらぬためには、 多くの言葉を用いぬことだ。 考えを突き詰めぬことだ。 …

衆愚政治

困っていますね! たいへんな時期ですものね! あげましょう! あげましょう! もっとちょうだい! もっとちょうだい! こまりましたねえ。そうですか。では、あげましょう!・・・でもね、このままでは、あげるためのものが無くなってきますから、後からし…

自分の内に有るものが在る

人には、外に求める必要のないものがある。 あるいは、人は外に求める必要のないものをもっている。 それは、 人には生まれながらにもっているものがある、ということだ。 「本心に立てば自然にそうした気持ちになる」というのも、その証左だ。 しかし、現代…

欲求を受け入れて活かすこと

人は快を求める。 それは、何も人間だけではない。 それは、生きるものが生きていくことの、その根源につながるものだ。 人は、官能を求める、と言っても、それは同じだ。 人には、欲求があり、その心身はその欲求を実現しようと働く。 その働きや欲求を否定…

本音と建前が無いなんて

日本人には本音と建前があって、それがいけないことのように言われたことがある。 どのような人と比べていたのだろう。 たぶん外国人と比べて、ということだったね。 外国人? でも、イメージ的には、たぶん白人。 白人? でも、たぶん欧米人。 そういう人と…

教育成果の測定

人間の教育成果が、すべて点数化して測れるとでもいうのだろうか。 そのようなことを考える人間は、点数を取る生き方をしてきた者に違いない。 人間の教育とはそのようなものではないだろうに・・・。 そんなことは子どもだって知っている。 いや、子どもだ…

自分の身体?

あるお嬢さんが、自分はピアスはつけないのだと言います。 それは、母親が、怒るからなのだそうです。 というのは、 そのお母さん、 「親が産んだ身体に傷をつけることは許さない!」と言うのだそうです。 私は、それを聞いて、とても感心したのです。 それ…

出産の経験と仁

「腹を痛めた子」という表現があります。 これは、「仁」と関係しています。 「腹を痛める」というのは大切なことなのですが、さらに大切なことは、その経験が自分のなかで生き続けること、その経験を活き続けさせることなのです。

人間関係のわずらわしさ

人間関係というのは、わずらわしいものだ。 人は、その人間関係から、生きている限り逃れることはできない。 そこから逃れようとして、仏門に入ったところで、そこにも人間関係はある。 好きになった者たちが一緒になって、その心地よさを味わうが、ここにも…

学ぶことと敬うことと

ある人の考えなり、理念なり、理論なり、価値観なり、世界観なり、宗教(認識)なりが良いと思えるからといって、あるいは共感、共鳴できるからといって、その人を敬い、信奉するのは誤りである。 なぜなら、人には長所があるとともに、必ず欠点があるからで…

私利私欲と人との関係

私利私欲で人を動かしたり、集団を動かしたり、組織を動かしたりしていると、その者はやがて潰される。 潰されるとは、捨てられたり、離脱させられたり、地位を奪われたり、職を奪われたり、ひどい場合には生命をも奪われるということだ。

自身の内にあるもの

それは、一人ひとりが自身の内にもっているものだ。 それは、「私」の私欲を見定め、その私欲を統制する。 それは、本来、完全なものなのだけれど、固定しているものではなくて、 自ら成長するものなのだ。

生きる道の方向性

人は、誰しもが自分のうちに羅針盤のようなものを持っている。 その針先は、けっこう右に左に揺れるのだけれど、 しかし、結局のところ、その示す方向は定まっている。

社会的な権利と責任

人の権利や権利主張を教えて、 その一方で、社会で暮らす人としての責任を教えないのでは、 社会は壊れてしまいます。 権利を教える人は、社会的責任の根本をよく知らないのか、うまく教えることができない人が多いようです。 私たちの国は、そういう人を長…

もめごとに遭遇したとき

もめごとに遭遇することがある。 もめごとを好まず、もめごとを起こさぬようにしていても、 それでも、もめごとに出くわすことがある。 明らかに相手に非がある。なんとあくどいやつだと思う。 そういうときには、とんでもなく腹が立つ。 しかし、だからとい…

無理をしない生き方

人には、いろいろな生き方がある。 生き方のなかに、 無理をしない生き方というのがある。 無理をする生き方は、続かないが、 無理をしない生き方は、その生涯を全うする生き方でもある。 無理をしない生き方は、消極的と思うかもしれないが、 少しも消極的…

好悪の判断と感性

生きているなかで、 正しいことは正しいと、 正しくないことは正しくないと、 判断するのに、 そこにはその感性がある。 この感性を見失わせるものに、 理性がある。 理性は、生まれて後に次第に身につけていくものだが、 この感性は、けっこう有機体的なも…

親孝行の孝を考える

親孝行の「孝」は、何も親ばかりに向けられたものではない。 ましてや、「孝」が封建的道徳だなどと浅薄な考えを持っていてはいけない。 しっかりとした知識を追求しない不勉強な教師がそのように考え、「孝」を子どもたちに教えようとしないのだろう。 「孝…

欲求をあおる自分

諸々の欲求は、人間の内にあるものだが、人間の内にあるそれらの欲求の大きさは、もともとやたら大きなものであるわけではない。 それらの欲求をやたら大きくしていくのは、自分自身なのだ。 欲求をあおるようなことは、自らしないことだ。 欲求をあおるよう…

人と交わりつつ自分を大切にして生きる

素直さは大切だが、その素直さをそのまま外に出すことについては、細心の注意を払うのがよい。 否、どの程度の注意を払って、自己の素直さを出すのがよいか、知る力をもつことが大切だ。 その力を持つことが、他の人々とともにあって、自己を大切に生きる術…

自分を見る手鏡のようなもの

自身を見つめるために、あれこれと手に鏡を持つ。 ところが鏡に映るものを自身のものとも思わず、映った姿を自身の外にあるものと勘違いして、ひたすら思考し、観察し、その明確な姿を理解しようとする。 他の人の考えたことをひたすら理解し、解釈し、それ…

相対的なものとその超克

相対的対立物は、覚醒した意識によってもたらされる。 でも、その対立物を超克しようとするのは、意識以前の、意識を超えたところから来る働きなんだ。 でも、その働きが何をしようとしているのかさえ、我々は気づかないことがあるんだ。

人間の本姓を見なければ

「者箇(これ)は是れ人根、若し此の心を滅却すれば、則ち其生や、無根之草木の如し」 人間の本性とは何でしょうか。 教育は大きな間違いをしてきているのかもしれません。 子どもや青年の心を捻じ曲げるような、本来あるもの(本姓)を捻じ曲げることを強要…