いのちの自覚

この話は、いのちの自覚というよりも、いのちを生きていることの覚悟というか、いのちを終えることの覚悟といったほうがよいのでしょう。

現代に生きる私たちは、そのような教えや導きを受けることがほとんどありませんから、わかるといっても本当のところはどうだかわかりません。

しかし、大いに考えてよいことですし、自身をしっかりと生きようと思っているなら、むしろ考えなければならないことと思います。いや、考えるというよりも、まさに自覚的に生きねばならないという、そのままなのでしょう。


老いの身の 終わる生命は惜しからじ 世に勲(いさおし)の 無きぞ悲しき
梁川星巌

「勲」を、現代に生きる者としてどう考えるか。よい答が見つかるとよいと思います。