ほめて育てることは間違っている?

「ほめて育てる」というのは間違っている、と野矢茂樹は次のように書いている。

 

 確かに、ほめられるとやる気が出る。だから子どもを伸ばそうと思ったなら、ほめることはとても効果的である。しかし、「ほめて育てる」という方針は根本的にまちがっている。

 ほめられて育った子が、ほめられるためにがんばるようになる。そして、そこから抜け出せない。これが最悪のシナリオである。・・・自分自身の内側から生み出される駆動力を、「ほめられるためにがんばる」という行動原理は奪ってしまう。・・・

 何かを為したことがもたらす喜びが、ほめることによって、ほめられた喜びにすり替えられてしまう。もっと子どもの内側から湧いてくるものをだいじにしなくてはいけない。・・・(野矢茂樹、『哲学な日々ー考えさせない時代に抗して』)

 

その通りだと思います。その通りだと思いますが、では、いつも、誰でも「ほめることは間違っている」で良いかというと、疑問も生じる。

 

野矢氏は、「ほめられたいと思う気持ちは、自分よりも優位の者を求めることにつながる。・・・子どもは、・・・ほめられようとして上目づかいになり、ほめてくれる人に自ら進んで隷属しようとする」という。

しかしこれも、理屈ではそうだろうが、実際にはそれほど単純ではない。その大きな理由の一つは、子供は一人の大人とだけの関係で生き、成長するわけではないからだ。

 

親も教育者(保育者)も、ほめるときがあっても良いし、しかる(注意する)ときがあってもよい。気をつけるべきと思うのは、激しい感情でそれらをしないことだ。穏やかな気持ちでほめたり、叱ったり(注意したり)ができることだ。

それとともに、野矢氏が言っているように、(子どもが)「何かがうまくできたなら、一緒に喜んで、子どもが感じている喜びを増幅する。そうして、その子が自分の内側から感じる喜びを引き出してあげる」という考え方を基本とすることだろう。

それは、優位に立つ者と下位に立つ者という関係ではなく、ということでもあり、そうした関係があったとしても、それを超えてということにもなるだろう。

要するにそれは、よく言われる「愛情をもって」ということなのだ。それは、我が身をその子どもの心に置いてということだ。