2009-11-01から1ヶ月間の記事一覧

自然を敬する心

自然を愛するだけでなく、 自然を敬する心が、 古くから連なる日本人によって、 日本人の心の奥底に培われ、 文化のうちに印されてきていることを、 誇りに思う。 それは、自負してよいことだ。

人間になる

人間は、人間に生まれてもなお、人間になるべく生きようとする。 そういう性をもって生まれた存在だ。 しかし、その性向すら、見失うことがあり、見失う者もある。 えらそうなことを言っていても、荒びのなかにとらわれると、人間も禽獣どころか禽獣以下のこ…

寿命と死と生

寿命というものは、全うしなければならない。 それは、この世に生を受けたものの勤めだ。

家庭づくりの大切さ

熱心に仕事をするのはよいのですが、家族・家庭という基盤をないがしろにしてはいけません。 女性の社会参加はよいことですが、家族・家庭が希薄なものになってはいけません。 人間は社会によってつくられるといいますが、まず、家族・家庭によってつくられ…

比較価値による目の曇り

ものや人を比較して、評価しつつ見る心がないとき、 私たちは、「あるがままのもの」を見、知ることができる。 (参考:林田明大『新説「陽明学」入門』) 常にそのような心をもっていることなどはできないが、 日々において、そういう自覚をもつ時間をとる…

正しい生き方

あるべき自分というものは、定まったものではありません。 「道に方体なし。執すべからず。」と、王陽明は言っているそうです。 道を探して、心が何かにとらわれると、道がわからなくなるどころか、道を失ったりもするのです。

生のなかの愛

愛にもいろいろなレベルがあります。 もっとも深い愛は、私を超えたところから来るものです。 しかし、生きている私に本来伴っているものでもあります。 それは、大抵の場合、恋愛でいうところの愛とは異なります。 西田幾多郎は次のようにいいます。 愛とい…

引退後と孤独

人は、利益を離れて自分以外のものに自分を捧げるという習慣がありませんと、引退後はただひたすら孤独に陥ることになります。(日野原重明『いのちを創る』) 孤独に陥るのは、なにも引退後に限ったことではありません。 自分以外のものに自分を捧げるとい…

すべてのものへのつながり

すべてのものに心を通じてつながっている。 これを失うと私利私欲に走る人生を歩むことになる。 生きる潤いを失うことになる。 自分も含め、あらゆるものが物となる。

心の根を切るな

心のうちに、自然に対する畏敬と親しみの心があるならば、それはそれで大切にしたい。 その心を誰が教えたのか、誰に教えられてその心をもったのか、私はそれを知らない。 誰かから教えられたかもしれないが、もともとあったもののように思うほうが多い。 そ…

すべてを「もの」にする

人間が利己的になると、禽獣よりも始末に終えないことをする。 なぜなら、人は意思と知を働かせて、それをするからだ。 (上記は、どなたかがどこかで書かれていたものであったと思う。) なぜ、利己的になるか。 それは、生き、生かされているにもかかわら…

心の豊かさ

恩という字は、因に心と書く。 それは、原因に心を留めることだ。 「私」は、こうして生命を得て、今を生きているのだが、その「私」は過去があっての「私」である。 未来はわからぬが、間違いなく「私」の過去があって、今がある。 原因とはその過去である…

理知ばかりで生きていては

私たちは、理知ばかりで生きているのではない。 私たちの生活体験は、知的論理的側面と同時に、さらに大切な情意の側面を備えている。 知的論理的作用によって構成されるとする世界は、私たちが実在しているこの世界ではなくて、それから魂を抜いて、機械的…

子への愛

親の子に対する愛情ほど深いものはない、と言われる。 どの親もそうでなければならぬ、と思う。 しかし、いつまでも変わらぬ愛では、子がもがく。 子への愛も、幼子への愛から、人への愛へと変わらねばならない。 しかし、ここがなかなか難しい。 子は自然に…