2012-09-01から1ヶ月間の記事一覧

人間として

人間としての人格は、天からもらったものだから、 自分からその人格を毀傷(きしょう)しないことが、 天に報いることになるのだ。 (大塩中斎『洗心洞箚記』) 天からもらったなどというと、何のことだというかもしれないが、 人間としての人格は、己が生ん…

生きることと学び

人間は、一生学んで生きるようにできています。 本当は、あらゆる生き物がそうだといえるのでしょうが、 人間の場合は、学ぶことを自覚して生きるようにできているのです。 ここで学ぶというのは、「自己をより成らしめるべく」学ぶ、という意味です。 そし…

一体の観と分別

内外合一、物我一体の観は誠による(参:中庸) 私の内と外、物と私、他者と私、これらの区別のない世界に自らの誠がある。あるいは自らの誠がそれらの区別をなくす。 しかし、分別の知が勝ちすぎると、自らにある誠の輝きを鈍らせ、一体を失わせる。 しかし…

人を見る目をもつ

胸に一物のある人間は、普通一般の考えておることと違ったことをひょいと言って、みんなを刺激したり驚かせたりするものです。(安岡正篤『呻吟語を読む』) 人を騙して金を巻き上げるような人間にも気をつけなければならないが、たいそう偉い人間であると思…

物欲にくらまされないように生きる

物欲にくらまされぬことが、天理を明察し、これを体忍する上で、なくてはならぬことである。(参:岡田武彦『座禅と静座』) 物欲は、私利私欲などの上辺の快を求める欲求です。 「くらまされる」とは、見えなくされることです。 ですから、 「上辺の快を求…

心の統一作用

心の統一とは書きましたが、やはり、「心の」はないほうがよいのでしょう。 統一作用を伴わない分化には、成長はなく、存在性もない。 そういう自身の生や存在性を知る時、そこに神聖さを感じ、自身の生に尊厳性を抱くのです。 そして、「私」を、また、「私…

涙の出どころ

人は理屈なしに、涙がこぼれるようにありたい。われわれは理屈がぎっしりつまっておるから、涙の道が塞がって、なかなかでてきません。(山田準『陽明学講話』) ここでいう涙は、清き涙です。 そういう涙を流すことのできる自身を、大切にしなければなりま…