2010-01-01から1ヶ月間の記事一覧
欲をなくしてしまうなどということは、とてもできることではない。 だから、欲もほどほどにということになる。 また、物への欲、世間に対しての欲というのは、あまり膨らませない方がいい。 知らず知らずのうちに、自分のためではなく、欲のために生きている…
少々知識を得て、個人としての人の世界を、内界と外界、内なる世界と外なる世界などと言い、人のその夫々の経験世界をあれこれと説明する。 しかし、本来、人の経験世界には内も外もない。 立ち止まって、自己を思案したものに過ぎない。 一つの方便である。…
たいへん奇妙なことのように思えますが、誰しもが常々に「私」を自覚して生きているかというと、そうではありません。 眠っているときに「私」を失っているのだと言うかもしれませんが、よくよく考えて見ますと、人は皆、しっかりと「私」を自覚して、日中を…
人には皆、自身をより良く生きようとする力が働いている。 この働きがあるからこそ、より良く生きたいと、自身について、自身自らが思うのである。 (竹内・角田『大塩中斎』) しかし、欲に囚われていると、「より良く」の何たるかの道を誤ることになる。 …
現実は複雑な矛盾対立に満ちた世界です。 複雑で、矛盾対立に満ちた世界こそが、現実であると言ってよいでしょう。 だから、現実が複雑だからと、どうこう言っていても仕方がないのです。 そういう現実の中にあって、 「私」というものの統一を失うことなく…
生きることには厳しさが伴っています。 そんなことは、敢えて言うまでもないほど、当たり前のことです。 私たちの多くは、いつのまにか、生きることを安易に考えるようになってきたのかもしれません。
大いなる宇宙が、「私」の外に広がり、「私」はその広がりと遠き果てを知ることはない。 しかし、その果てのない宇宙が「私」の外に広がっていることを、「私」は知っている。 「私」はまた、「私」の内が、果てしなく深遠であることも知っている。 しかし、…
人間に、良い人間、悪い人間の絶対的区別はない。 人間は、誰しも、心がけ次第で良い人間にもなるし悪い人間にもなる。 絶対的に良い人間という者は存在しないし、絶対的に悪い人間という者も存在しない。 したがって、誰しも、そのような者になれるわけでも…
薄っぺらな人権論や平等論が、 父とはどういう存在か、母とはどういう存在か、 また、男としてどう生きるのか、女としてどう生きるのかをあいまいにし、 若い人たちのアイデンティティ形成に必要なモデルを見えにくくし、悪影響を与え、 強いては家庭とは、…
私たちは、自身のうちにある分別知と非分別知を、ともに大切なものとして、知らなければならない。 私たちは、分別知をもつことによって、自身が関わる物事の何たるかを深く広く知る。 ところがこれに固執すると、自ら自身が、「私」と区別されてしまう。 分…
自身の、人としての誠実な生き方は、目で見、耳で聞き、香りを嗅ぎ、その空気に触れる、その実感する宇宙・自然のうちにある。 また、都市部に住む者が、あるいは人工的なものに囲まれて生きる者が、あるいはまた、利害打算の人間関係のなかで生きる者が、自…