2008-07-01から1ヶ月間の記事一覧

社会のなかでの誠実な行為とその腐蝕化

少数の人たちの、その誠実な心と思考から生じた社会的試みは、やがて一部の社会の人々の健全な心に受け入れられ、社会のなかに顕在化することになる。 こうして、その試みは、社会のなかで光が当てられるようになると、やがて社会のなかで力を持つものたちが…

取り残される思いと焦り

取り残される思い、なんていう感じをもつ人がいる。ひどい人は、その焦りで、へとへとになる。 何から取り残されるというのか? 社会から、と感じるのかもしれない。 まわりの人たちから、と感じるのかもしれない。 情報から、と感じるのかもしれない。 まあ…

人間への信頼とは言うが

人間への信頼という言葉がある。 しかし、これは、個々の人への信頼ではない。 人間という有機体への信頼なのだ。 人間という、その生命を持つものへの信頼なのだ。

信頼するもの

信頼とは、信じて頼ると書くのだけれど、 人は、信じて、よりどころとするものがなければ、生きていけないのかもしれない。 そんなわけで、 それを失った人は、 それを求めて、叫び声をあげている。 叫び声をあげて、人を殺したり、人を傷つける人がいる。 …

水底の静かな深み?

世俗の生活のなかで、私欲にとらわれて現実の利害にふりまわされているのが、われわれである。起伏の多いその波間にゆられて喜んだり悲しんだり、しかしその水底の静かな深みを知るものは少ない。(金谷治『老子』) 私たちは生活をしている。すなわち、これ…

影のような死

「死」は、「生」の影のようなものだ。「生」が浮かび上がると、本来、その影である「死」は一層明確になるはずだ。時にどちらが影なのかわからなくなるときもある。そして、最後には、影が生に取って代わる。 生とはそういうものだ。 中島義道さんは次のよ…

環境と生活体との関係から

意識的思考の始まりは、生活体と環境との間での相克が起こることから来る。 そして、意識的思考の第一の目的は、その、あるいはそれらの対立を確認することにあり、次の目的はそれを解決することになる。 しかし、思考ばかりが働きすぎるようになると、思考…

過剰な意識の問題

意識を研ぎ澄ますことは、有機体あるいは生活体が持っている健全な機能を疎外させることに繋がる。 だから、ひたすら考えることがよいことかというと、そうではないんだ。 逆の場合で言えば、ひたすら考えないといけない状態になっているってことは、そこに…

人を助ける方法の基礎

人を助ける方法にはいろいろあるが、 重要な考え方として、 人に力を与えるというよりも、その人間が持っている力を決して奪わない、ということがある。

よりどころとしては

マジョリティの価値観だと言って、それを嫌う人や、攻撃する人がいるのね! そして、マジョリティの価値観を尊重しろと叫んだりする人もいるのね! 価値観のよりどころをどこに置くか、まあ、いろいろあるし、いろいろあっていいわけね。 でも、マジョリティ…

自己肯定・自己否定、その成立と進展

自己肯定は、常に、関係世界のなかで成立する。 それは、他者との関係世界のなかで始まり、他者及び自己との関係世界のなかで、成立、進展するものなのだ。さらに言えば、自己否定への道も、また、同様である。

自己肯定・自己否定・肯定否定のない自己

肯定に対して、否定という言葉がある。 さて、人間の、自分自身ということに関しては、 自己否定に対して、自己肯定という言葉を使うことができる。 そこで、 人間は、常に自己肯定しようとしつつ生きている、という考え方をもつことができる。 それは、 「…

自分の人間観で

すべての人に合う人間観なんてあるんだろうかなあ。 でも、参考にすべき人間観というのはあるね。 でも、それにしても、いつもその人間観で動けるかというと、そういうわけにはいかないんだ。 まして、その人間観で動いているかというと、これはまったく違う…

欲しいもの、必要なもの

欲しいものが必要とするものと同じかっていうと、 必ずしも、 いつもそうだと言うわけにはいかないのね。 そんなわけで、欲しいものがあっても、さっさと手に入れようとしないってのが、大事なことなんだよね。 欲しいものを手に入れると、快感を得るのね。 …