2008-11-01から1ヶ月間の記事一覧

体で学ぶ?

体忍という言葉があります。 これは、経験を通して学ぶということです。 これは、身体で理解するということでもあります。 しかし、経験を言うにしても、身体だけに目を向けすぎてはいけません。 身体だけで知るというのでは、動物の調教と変わりません。 や…

自らを育てる

根を大切にして育てていかなければなりません。 根が有ってこそ、育ちがあります。 よい根があってこそ、芽を出し、葉をつけ、花を咲かせ、実を結びます。 しっかりとした大きな根を持てば、大きな幹、大きな枝を張ることができます。 風雨という困難にも耐…

夫婦仲のよさ

夫婦仲がいいというのは、 お互いに慈しみ合う心をもつからなのです。 これは、お互いに慈しみ合う心が「ある」から、と言うよりも、 やはり、「もつ」から、と言った方がいいのですね。 相手を慈しむ心が、いつも自然にあると思ってはいけません。 お互いに…

社会から蹴落とされる

社会から蹴落とされるのは 怖いかもしれないけれど、 タオから見れば、 社会だって変わってゆく。だから 大きなタオの働きを少しでも感じれば くよくよしなくなるんだ。 たかの知れた自分だけれど 社会だって、 たかの知れた社会なんだ。 (加島祥造「たかの…

しんどい思いをする

言っておくけど、 何も自分からすすんでしんどい思いなんてしなくてもいいんだからね。 でも、本当にやりたいのなら、 やってごらんなさい!

幸せのもとを知る

幸せの元(もと)はどこにあるだろうか。 それは、平凡な暮らしのなかにある。 平凡な暮らしというのは、世間の話題に上ることは少ないものだ。 しかし、そこに幸せな暮らしがある。 平凡な暮らしとはどのようなものだろう。 それは、世間一般の、ごく普通の…

幸せを伴う

「幸せ」は「私」の周りに満ちている、などと言うと、「なにを馬鹿な」と人は言うかもしれない。 しかし、身体を休め、心を穏やかにして考えてみると、いくらでも思い当たるものだ。 第一に、いのちをもって生きられていることだって、幸せの一つなのだ。 家…

生き方への問い

人間いかに生きるべきか、などという問いに、あまり深刻になりすぎてはいけません。 いかに生きるべきかという問いは、生きている限り続くものです。 ですから、のんびり考えるとよいのです。根を詰めてはいけません。

欲との付合い

若いころというのは、欲を大事にするのでよいと思います。でも、外でキラキラ光っているものに心を奪われているような欲には気をつけなければなりません。 中年期には、ほどほどの欲でいなければなりません。手に入りそうだからといって、次から次に手を伸ば…

ありがたいと思う

むき出しのわずかな地面がある。 そこに草が生える。 私は、その草をかがみこんで取る。 初めのうちは、あれこれといろいろなことを考えながら、草を抜いている。 しばらく、あれこれ考えることは続いているのだが、そのうちに考えているのかどうかわからぬ…

生命の享受

死を憎むというのは、 幼いときに故郷を離れたものが、 故郷に帰ることを忘れるのに似てはいないだろうか。 (『荘子』より) いのちを全うするということは、そういうことかもしれないなあ。

あいまいさ

「あいまいな日本人」とか、そういう言葉があったような。 そこで言われるこまかな主張内容はともかくとして、 時に、あるいは往々にして、「あいまいさ」が否定の一色で染められて、強調して述べられたりする。 (現在の身の周りは、すでにそうしたことさえ…

善い行いと悪い行いに触れたとき

テレビやラジオで見たり聞いたり、本や何かで読んだり、また、直接人から聞いたり見たりというなかで人の善い行いを知ったとき、気持ちよくなったりうれしくなったりする心は大切です。もし、そういう心が働かなくなっているなら、その人は人の道の中ほどよ…

木を植える?それとも種を蒔く?

社会を良くしようと一生懸命何らかのことをしているたくさんの人たちがいる。 このような人は、この社会によい木を植えようと働いているのかもしれない。 良い木を植えて、実りを得る。これはなかなかよいことだ。 あるいは、良い木を植えて、周りの人がそれ…

「結婚相手」と「好きな人」

その人のことを好きなのかどうかっていうのは、心でわかったり、心で考えることなんだ。 でも、その人を結婚相手にするかどうかっていうのは、頭で考えた方がいいことなんだ。 結婚して、生活を共にして、双方の家族とも関係を持って、家庭をつくり、家庭を…

人生の目標について考える

「目標を持って生活することが大事だ」って言う人がいる。 「一方目標が見つからない」って、そういう自分を情けなく思ってる人もいる。 でも、人生の具体的目標を持って、それに向かって突き進んでいる人がいい人生を歩んでいるかどうかはわからない。 たと…

勝ち組と負け組

ひところ勝ち組・負け組という言葉がはやり、それこそ猫も杓子もというか、あちらこちらで耳にしたものですが、これなどは如何に人々が名利を追うことに追われているかということを示していると思います。

軽薄な政策

軽薄な政治をしていると、軽薄になる国民が増えていきます。 とはいえ、あまり国民を愚弄してはいけません!

人に知られることの善し悪し

人に知られるようになるとか社会に知られるようになるというのは、気持ちのよいことです。しかし、良いことのように思えますが、悪いことのほうが多いかもしれません。 なぜなら、自分らしく生きることを難しくするからです。 それまでなかった傲慢さが出て…

人生の「時期」について考える

人生の「時期」の区別について、いろいろな人がいろいろなことを言っています。 要するに、いろいろな考え方ができるということです。 たとえば、人生の「時期」を二つに分けてみることもできます。 人生の前半を「外面の輝きとしての成長の時期」、人生の後…

親が子へ(子の意見への「感心」)

子が親に、物事に対する自分の考えや解釈を言い始めたなら、たとえそれが稚拙なものであっても、「感心」を示すのがよい。 これは、子が人として、親とは異なる自分の考えを持つことへの敬意の表明である。 やがて子は、親への敵対ではなく、親を尊敬しつつ…

内から来るものと外から来るもの

常々人の目を介して自分を生きていたのでは、新鮮な自分を生きることはできません。 時折に人の目に映る自分を見るというのは、人との間でどう処するかを知る上で役に立ちます。 しかし、人の目に映る自分ばかり見ようとするのでは、自分の根っこに気づくこ…

信じているって怖いのだ。

自分が信じているものにこそ正義があると思っている人は厄介だ。 なかには、喧嘩をふっかけてきているのかと思ってしまうほどの人もいる。 当人はそう思ってはいないのだろうが、ご当人の信じているものに従えって言っているようなものだから、まあ、喧嘩を…

神経症的症状を呈する国と政治家たち

周りの人の目を恐れて、常にびくびくしているというのは、神経症のようなものだ。 人がそういう状態になると、胸をはって堂々と生きる生き方とは程遠い生き方をするようになる。 そもそも自分に自信がもてないのだから、堂々と生きれるわけがない。 こうした…

善悪を求めてばかりでは

物事や人の行為の善悪を求めようとする人は、なかなか厄介です。 なぜなら、その人は、物事や人の行為にはすべて善悪の判別がある、と考えているからです。 そのような人は、物事や人の行為に対してそうした判別をしなければ、心が落ち着かないのです。 考え…