#倫理学
「仁」という字は、人の名によく使われている。 といっても、最近の人の名にはあまり使われない。 それは、おそらく、戦後の占領政策によって、教育の改変が行われ、人の道を教えることがあいまいにされてきた一つの結果だろう。 現在、「仁」という語の字義…
義を見て為さざるは勇なきなり、というが、 しかし、 仁は過ごすべし、義は過ごすべからず(蘇東坡)、ともいう。 義憤が昂じての為せる業であれば、それは笑止ともなる。
人間というものは、苦しみを糧として生きることもできる。 「苦しみ」を「糧」とするなんて・・・、人間よりほかに誰ができるだろう。 神様だって、敬服するに違いない。
善悪は、物事それ自体に客観的に存在しているわけではありません。 善悪は、人の心に存在しているのです。 善悪は、それぞれの「私」の心の中に存在しているのです。 世間や社会の善悪の判断だって、それぞれの「私」の心の中の善悪が集まって、その時々の善…
他者に対する人の行動には、利己的行動と利他的行動がある。 こう聞けば、なるほどと思う。 しかし、人は利己的行動ばかりではその関係世界において生きていくことはできない。 また、利他的行動ばかりでも生きていくことはできない。 そこで、最初の表現を…
神を拝む者が、みな神を崇める者であるかというと、必ずしもそうではない。 なぜなら、世間には、神をだしに使って、自分の欲を満たそうとする者もいるからだ。 神の周りにはそういう者も集まるということを知っているのは、生きるうえで大事なことだ。
依存には、より稚拙なものからより成熟したものまであるようなのね。 「じりつ、じりつ」とわいわい言う人のなかには、われわれが相互依存の関係を断ち切っては生きられないということを忘れて、そう叫んでいる人が多いみたいなのね。 たとえば、社会福祉を…
正しい親を持った子供は不幸かもしれないね。 正しい夫を持った妻は不幸かもしれないね。 正しい妻を持った夫も不幸かもしれないね。 正しい姑を持った嫁さんも不幸だろうね。 年老いて、正しい子供をもった親も不幸だろうね。 当人は、いつも、当人の考えて…
庭の片隅でげじげじを見た。 私は、持っていた移植鏝をそのからだに振り下ろした。 げじげじのからだは二つに裂かれ、なおも動いていた。 私は、その一層おぞましくなった姿を見まいとして、足でそれに土をかぶせた。 私は、あのような虫が生理的に嫌いなの…
彼は、確かにこう言ったのです。 「あなた自身を愛しなさい、人間を愛しなさい、という要求には納得しますが、あなたの周りにいる一人ひとりの人、そしてそれらすべての人々を愛しなさいという要求には、私はこたえることができません。」
世間一般の価値観のなかに生きるのと、 そこから外れて生きるのと、 どちらが生きやすいかと言うと、 世間一般の価値観のなかに生きる方が生きやすいのに、きまっている。 ましてや、 若いときに、 世間一般の価値観から、外れて生きるなどというのは、 生命…
金持ちになれないからとか、良い職に就けないからとか、良い地位を得られないからとか、不平・不満を心にたくさんもつ人がいる。 なかには、その不満を家族やあかの他人や社会にぶつける人もいる。 そういう人って、大人になれない子供って感じだよね。 でも…
直接的な人間関係をもって、人を助けようとする者に求められるもの。 それは、その実践の場において、特に、 「相手を対象化せず、相手を自分と同じ、『主体として生きる人』として、 その感情、願望、苦痛、不安、考えなどを感性を伴って認識できること」 …
女は、子供を生む。 だから、女は子育てが好きに違いない。 なんていうのは、 きっと間違った考え方なんだろうね。 女は、子供を生む。 だから、女は子育てが好きじゃないといけない。 これも、間違った考え方なんだろうね。
たとえ、世話になっているようでなくても、お世話になってます、なんて挨拶の言葉が使えるなら、社会的には大人になっていると言えるのだろうね。 たとえ、お前さんなんかに、世話になってねーよ、って気持ちがあってもね。 こういうのって、その人に対して…
のんびりした性格でも、時と場面によっては、待たされて、いらいらするんだよね。 囲碁などは、結構のんびりやっているようでも、あまり待たされると、とんでもなくいらいらしてくる。 のんびりやっているようにみえても、頭と心の中では、激しいバトルが繰…
今も、知らない人だけど、 知ることができる人ではあったんだ。
人間一人ひとり、みんな、 それぞれが、心のうちに神さまのようなものをもっている。 「それ」は、その人の良心と切り離せないものだ。 それは、人によったら、良心と言うかもしれない。 人によったら、それを神と言ってしまうかもしれない。 また、多くの人…
自然の道理にかなうものを真理と言い、 自然の道理にかなう行いを倫理と言う。 こういっている人がいるけれど、考えてみなくっちゃね。 この場合の自然は、自然科学で言う自然とは、たぶん違うよね。
最近は、仰げば尊しを卒業式で歌わないところもあるそうだねえ。 そうだよ。 わたしのころは、卒業式といやあ、この歌だし、誰だって、この歌で胸がいっぱいになったもんだよ。 でも、どうして、この歌を歌わなくなってきたんだい。 よくわからないけど、歌…
死期が近づいたことを知るっていうのは、人間にだってきっとあるはずだ。 それをわかりにくくしているものが、あまりにもたくさん周りにあるから、あるいは自分自身のなかにあるから、それが伝えられているのに、わからなかったりするのだろう。 ねこは、死…
こんな言葉がある。 一度妻の不行跡を知ってしまえば、もはや如何なる医者の手にかかっても、癒されることはない。 (『結婚十五の歓び』より) ということで、この適用範囲をもう少し広げて応用してみると・・・、こんなふうにも言えたりする。 一度夫の不…
他人さんのこと、死んでもらいたいって、思ったりしたらだめですかねえ? そんなこたあ、ないだろう! 安倍清明さんまでさかのぼらなくったって、昔のえらい人は、みんな祈祷をして、相手を呪い殺そうとしたりしてたんだからね。 それに、神に祈りながら戦っ…
もし、どこかの町で、 いじめによって、命を落とした子がいたとして、 町の為政者が、 町のイメージを回復することが、 その子のいのちに応えることだと、 考えたり、言ったりするようなことがあるとしたら、 人のいのちなんていうものは、 好きなように使わ…
外国人と比べて、日本人は、物事をはっきり言わない、と言われる。 そうだろう、と私も思う。 だいたい、自己主張をあまりしないのが、日本人の人間関係に見られる文化なのだ。 あまりに自己主張をするのは、はしたないことと考えられてきたのだ。 昨今では…
乳繰り合うも多少の縁、なんて言葉があったような。 また、また、馬鹿だねえ、お前さんは。 それを言うなら、袖すり合うも他生の縁ってぇ、言うんだよ! 人の縁ってぇもんは、袖をすり合うような些細な出会いでも、大切にしなきゃあいけないって、ことなんだ…
これは、あくまで、独り言、一人遊びですので・・・。 雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモ マケヌ 丈夫ナカラダヲモチ (そんな人がいたら超人だな! まず、人間ではありえない。) 欲ハナク (やっぱり、これは人間ではない! 神か、仏だな、き…
テレビ番組では、わざとらしい表現がけっこうあって、時々、うんざりしますなあ。 たとえば、 料理番組で、「おいしい」っていう表情作りや表現。 おかしな言葉を作って、面白く表情を作って、うまさを表現しようとしている、やたら太ったお方もよくテレビに…
古い友人と久しぶりに会って、酒を飲みながら話をした時のことだ。 話題が教育や教師の話になった。 私は、教育や教師を彼がずいぶん嫌っていることに気づいたので、そのことを問うてみた。 すると、彼は次のような出来事を話した。 中学生の頃、担任の教師…
先だって結婚式・披露宴に招き受けて、行ってきた。 式は、ホテルの式場で、どこかのビジネス神父により行われた。 披露宴は、けっこう大勢招かれていて、会社関係の若い者も多かった。 式でも、披露宴の場でもそうだが、近頃ではキスをさせるというか、して…