自立的生き方と依存的生き方と

依存には、より稚拙なものからより成熟したものまであるようなのね。

「じりつ、じりつ」とわいわい言う人のなかには、われわれが相互依存の関係を断ち切っては生きられないということを忘れて、そう叫んでいる人が多いみたいなのね。

たとえば、社会福祉を教えている人のなかにもけっこうそういう人がいるみたいね。

そういう人から、教えていただく熱心にお勉強する人たちのなかにも、当然そういう人が多くなるね。

また、福祉を必要とする人たちのなかにも、そのように教え込まれたり、そう信じて生きるように一生懸命努力する人もいたりするね。

まあ、いずれもまじめな人たちには違いないのだけれどね。

でもね、教える人は口先だけのことでいいのだけど、また、福祉を提供する人も、相手にそれを求めるのだから、自分は大してしんどくもないだろうけど、依存を考えずに自立ばかりを考えて生かされる人や、率先してそう生きようとする人は奇妙な生き方をしなければならなかったり、あえて難しい生き方をしなければならなくなったりするのね。

そういう人たちの生き方が、お互いに大人として上手に依存しながら生きる生き方になってこない場合には、やっぱり奇妙な人たちになってくるね。

そうやって、福祉の援助を受けている人たちはちょっと変わった人たちだというように見られると、やっぱりその人たちは疎外されるようになるのね。

やっぱり、人はどうあれ、普通の生き方をしなくっちゃね。

あんまりお勉強ばかりしている人は、普通の生の営みから浮いちゃうのかもね。いやいや、普通の生の営みを自分がしているにもかかわらず、それが見えなくなっちゃうのだろうね。

あんまりえらい人の話を聞かない方がいいのかもね。

われわれは自立的な生き方を進めながらも、どこまでも互いに依存しながら生きているのだからね。