人生を終えるとき(ところ)

死期が近づいたことを知るっていうのは、人間にだってきっとあるはずだ。

それをわかりにくくしているものが、あまりにもたくさん周りにあるから、あるいは自分自身のなかにあるから、それが伝えられているのに、わからなかったりするのだろう。

ねこは、死期が近づいたことを悟れば、どこかへいなくなるって聞くし、象も彼らの死に場所があると聞いたことがある。

それらが事実かどうかわからないが、そろそろ静かに命を終えるときがきたと思えたら、それなりに静かなときを過ごせる生活というか、そうした場所があると、どんなに理想的だろうか。

何もかも一切考えることを必要とせず、ただ、安らかに命を終えることを思っていればよいような生活の場、そういう場がこの社会にあれば、どんなにすばらしいだろう。

そういうときが来たら、社会に用意された、そういうところへ移り住むということが、将来ありうるだろうか。


現在あるのは、末期がんの患者さんのためのホスピスだろうか。

特別養護老人ホームというのがあるが、あれはちょっと違う。
実際には、あそこを終の住処として、最後は病院のベッドで息を引き取るというケースも多いのだろう。

しかし、
ホームでの生活は、けっこうにぎやかで、それほど穏やかとは思えない。

しかし、
満たされた思いをもって、命を終えられたら、こんなこころ安らかなことはないはずだ。

そういう場所を、遠い将来、社会は用意するようになるかもしれない。

それとも、機械と薬物でもって、できるだけ生命維持をさせて、最後はとっくに自分の意思などない状態で、安楽死させるような施設が増えていくのだろうか。

どちらがよいかというか、やっぱり生命維持なんてやらずに、安らかにお迎えを待って、逝きたいものだ。