2008-01-01から1年間の記事一覧

文化、教育、社会の建て直し

主知主義とか対立的なものの見方、考え方(これらは欧米的、あるいは大陸的なものの見方や考え方といえるかもしれません。)が勝ちすぎると歪が生じ、問題が生じます。 体忍という学びの重要さも深く検証することが必要ですし、これを表面的にではなく、深く…

やさしい歯医者さん

初めての歯医者さんへ行ったのだが、何とも物腰のやさしい歯医者さんで、こちらが戸惑うほどだった。 それにしても、歯医者さんはいつごろから、患者をお客様のように扱うようになったのだろう。 どこで、それを身につけるのだろう。 まさか、大学で、そうい…

種を蒔く、根をつくる

老いてゆく人たちのなかに、もし、種を持つ人があれば、その種はしっかり蒔いて欲しいと思います。 丁寧に蒔く必要などありません。 あちらこちらに、四方八方に蒔けばよいのです。 ぼろぼろと落として歩けばよいのです。 ある種は石の上に落ちるかもしれま…

日本人的関係性

日本人のものの見方、考え方、思想、関係性について、岡田武彦さんは、次のように書いています。 「・・・日本人は昔から理屈を言わないのであります。理屈を言わないのは、他と自分とを対立的に考えないからであります。すなわち物と自分とを対立的に考えな…

教えること(権利と責任)

権利と責任は一対のものだ。 権利って言うけど、これには本当は社会的という言葉をつけてもいいんだ。 そして、それには、一対のものとして社会的責任があるんだ。 この責任について教えることが薄かった結果が、昨今のようなニュースになることにつながって…

生き方、生かせ方の問題

巨大な根がはびこっている その行方は分からない 地上で生まれ枯れてゆく枝々の先に 無数の死体はぶら下がり それはやがて地に落ちるその下に 巨大な根がはびこっている (谷川俊太郎「マリファナ」の一節より) 私たちは根っこを離れては生きられません。 し…

欧米優位の呪縛

他者の権利を侵害しない限りにおいて、自身の幸福を追求して生きてもよいなどという考え方は、欧米から来た、個人を優先した考え方だと思うんだよね。 だから、欧米流一辺倒で、このような考え方やものの見方でもって、あれこれ言っているえらい人たちの話は…

クチの暴力

女の暴力というと・・・ クチなのだ。 クチの立つ女というのは、暴力を振るっているようなものだ。 何の痛みもないじゃないか、と言うかも知れないが、 実は、けっこう痛いのだ。 それが肉体ではないから、「痛い」と気づいていないだけなのだ。 それが証拠…

一つの言葉を

必ず、ことは成るのです。 なぜ、どうして、などと考えてばかりいてはいけません。 そうやって考えることを、あたかも賢い人間のすることだなどと思っているかのように、 深く考えようなどと、思いすぎてはいけません。 何か一つの言葉を信じている、という…

考えたり動いたり

ただ考えているばかりでは、ことは成りません。また、自分も成りません。 芽吹いた芽があり、あなたは手に杓を持ち、そこには水が入っています。 でも、あなたはそうしたまま、考えています。 熱心に、考えています。 考えることがとても大事なことであるか…

生きる道と人間の種類

三種類の人間がいるとか。 第一は、功利的存在としての人間 第二は、矛盾的相対的存在としての人間 第三は、道徳的存在としての人間 これらの三種の人間の第一は現実主義者、第二は超越主義者、第三は理想主義者です。 これら三種の人間は、それぞれ次のよう…

追いつけず

休みなく動きながら世界は広がっている 私はいつも世界に追いつけず 夕暮れや雨や巻雲の中に 自分の心を探し続ける (谷川俊太郎の詩の一節より) すぐ近くのものを見ていると、どんどん流れ去ってゆきます。 でも、遠くを見ていると、景色はそう早くは変わっ…

遅れを恐れる人々

我々は、常に遅れる存在である。 文明・文化、知識・技術は常に変化進展している。 情報は常に流れ、新しく更新されていく。 誰がその最先端を常に生きられるだろうか。その最先端に生きられる者は、誰一人いないのである。 「テレビの解説者とか、大学教員…

生活感覚を持たずして

己が生活しているにもかかわらず、生活感覚を持たないということがある。 こういう者が言う人間についての話は、あんまり感心して聞かなくてよろしい。 ただ、生活の要領くらいの話なら、多少役に立つかもしれんがな。

専門用語で普通の営みを語る

アカデミズムというのは、ふつうの暮らしから少しはなれたところにある。 だから、そこで使われる言葉(用語)は、ふつうの生活でよく使う言葉とは違っていて、専門用語などとも呼ばれる。これを、ふつうの生活に近づけて言うなら、業界用語と言ってもいい。 …

してやったのにと怒り出す

人助けをしてとか、誰かのために何かをして、その挙句に、その誰かをののしったり、攻撃したい気持ちになったりすることはないだろうか。 そういう時は、なぜ、自分がその助けの行動をしたかを考えてみなければならない。 それは、自分がしたくてしたのでは…

障害をもつ子供たち

障害児の問題行動とか、障害児と健常児の狭間にいるような子の問題行動とか、まあ、対処する大人の側からは、あつかいにくい行動は全部問題行動にされてしまうのだけど、一人ひとりの子供の側から見ると、どの行動もそれなりに意味があったりして、そう嫌が…

感性が押さえ込まれる

感性というものは、さまざまな知識を身に着けていくことによって、しだいしだいに自分の奥の方へと押しやられていくみたいなんだ。 この知識っていうのは、覚えないといけないことなんかがそうだけど、そればかりじゃなくって、周りのみんなと同じようにやっ…

教師たちに

人として、大人として、生きていくのに大切なことに次のことがあると思います。 それらは、 思いやりや、やさしさ。 正しい行いをすること。 人を敬うこと。 人間として生きるための叡智をもつこと。 約束を守ること。 これらは、大人の人間の個人個人が大切…

死の受容と受動的生き方

人間は誰しも死ぬことを避けることはできない。 なかには、自分は元気だと思っていても、余命幾日と死を宣告される人もある。 自分の生き方が弱気だと悩んでいる人も多いようなのだが、人が死に直面するということを考えたときには、人生を受動的に生きてい…

いのちを生きる

いのちほど純粋なものはないだろうに、 人間は、 なぜにこうも、 いのちを汚して生きるのだろうね。

モンスター・ペアレント

モンスター・ペアレントが出たといって、驚いてはいけない。 モンスター・ストユーデントもいれば、モンスター・スタッフだっているのだからね。

目の病気

人が物に見えるというのは、拝金主義によって生じる眼病である。

神を拝む者たち

神を拝む者が、みな神を崇める者であるかというと、必ずしもそうではない。 なぜなら、世間には、神をだしに使って、自分の欲を満たそうとする者もいるからだ。 神の周りにはそういう者も集まるということを知っているのは、生きるうえで大事なことだ。

自立的生き方と依存的生き方と

依存には、より稚拙なものからより成熟したものまであるようなのね。 「じりつ、じりつ」とわいわい言う人のなかには、われわれが相互依存の関係を断ち切っては生きられないということを忘れて、そう叫んでいる人が多いみたいなのね。 たとえば、社会福祉を…

責任の取り方と逃げ方

責任のとり方にもいろいろあるが、これは責任の取り方ではなくて、逃げ方の話だな。 逃げ方と責任とをどう関連させるかというと、「責任をとって辞任いたします」というやつだ。 責任のとり方にもいろいろあるな。 自害をして、責任を取る人もいるな。昔、武…

正しい人がいると苦しい

正しい親を持った子供は不幸かもしれないね。 正しい夫を持った妻は不幸かもしれないね。 正しい妻を持った夫も不幸かもしれないね。 正しい姑を持った嫁さんも不幸だろうね。 年老いて、正しい子供をもった親も不幸だろうね。 当人は、いつも、当人の考えて…

こころって、何?

こころ、こころ、ってあれこれ話をしているやつに、友人が言ったんだ。 「お前、心がどこにあるか、知ってるのか?」 するとそいつは、ちょっと戸惑ったけど、 「ここにあるのさ!」って、胸に手を当てた。 意地の悪い友人は、 「お前、その心を見たことがあ…

苦労と思わずにできる

傍目から見て苦労だと思えることでも、苦労だと思えずにできるということがある。 なぜだと思う? それはね、それをすることをその人が好きだからなんだ。

自覚的存在であることを追い求める

「人生への出発点はいつかといえば、まさに受胎の瞬間とみなすべきであろう。・・・自覚的存在であるのが特徴といわれる人間なのに、その生の出発点が、自分にも他人にも気づかれないのだ。人生は発端からして人間の意識を超え、同じく終末も意識のまどろみ…