教えること(権利と責任)

権利と責任は一対のものだ。

権利って言うけど、これには本当は社会的という言葉をつけてもいいんだ。
そして、それには、一対のものとして社会的責任があるんだ。

この責任について教えることが薄かった結果が、昨今のようなニュースになることにつながっている。

背景には、力強く責任について教えることすらやりにくくなって久しい、ということもある。

だから、年老いた者も、若い者も、いまでは大して変わらない。


なかには、権利ばかり教えて、未だに頑張っている者もいる。

自分は虐げられていると思う者は、大いに賛同して、そういう者に群がるが、世間の多くの者は冷たい視線を投げて、彼らの遠くを避けて通っていくだけなのだ。

社会に生きる者として、責任ある行動をきっちり教える教師や大人が求められているし、そうした者がちゃんと教えることができる環境が求められている。

権利と責任について教えるための一番の課題は、ひょっとしたら、環境の方かもしれない。