生きる道と人間の種類
三種類の人間がいるとか。
第一は、功利的存在としての人間
第二は、矛盾的相対的存在としての人間
第三は、道徳的存在としての人間
これらの三種の人間の第一は現実主義者、第二は超越主義者、第三は理想主義者です。
これら三種の人間は、それぞれ次のような道を歩いてきました。あるいは、次のような道を生きており、また、次のような道を生きていくのでしょう。
第一の人は、自他の関係を対立、闘争的なものとし、自分が他を制御する道
第二の人は、人間以上の絶対的な存在を求め、それに帰依して、永遠光明の世界に入ろうとする道
第三の人は、「深くあわれみ痛む」心を持って、自他共存の社会をつくろうとする道
(参考;『現代の陽明学』)
さて、そこでこんな寓話を。
道に迷い、へとへとに疲れた青年が、途方にくれて立ちすくんでいます。
そこに白い髭をはやして杖をついた一人の老人がやってきます。
その老人は青年に、上記の三つの道を説きます。
青年は、その教えに感謝し、老人に礼を言います。
老人は、にっこり微笑んで、そして青年に尋ねます。
「そこで、お前さんは、どの道を生きるおつもりか」と。
青年は、しばし地面を見て考えます。そして、その問いに応えようと顔を上げます。
そこに老人の姿はもうありません。
青年は再び一人になります。
そして、また、歩き始めます。でも、少ししっかりとした足取りで。
青年は独り言のように、先ほどの老人に話すかのように、言います。
「どの道も私の生きる道なのです。でも、折々にいずれの道にいるべきかを知らねばなりません。」
第一は、功利的存在としての人間
第二は、矛盾的相対的存在としての人間
第三は、道徳的存在としての人間
これらの三種の人間の第一は現実主義者、第二は超越主義者、第三は理想主義者です。
これら三種の人間は、それぞれ次のような道を歩いてきました。あるいは、次のような道を生きており、また、次のような道を生きていくのでしょう。
第一の人は、自他の関係を対立、闘争的なものとし、自分が他を制御する道
第二の人は、人間以上の絶対的な存在を求め、それに帰依して、永遠光明の世界に入ろうとする道
第三の人は、「深くあわれみ痛む」心を持って、自他共存の社会をつくろうとする道
(参考;『現代の陽明学』)
さて、そこでこんな寓話を。
道に迷い、へとへとに疲れた青年が、途方にくれて立ちすくんでいます。
そこに白い髭をはやして杖をついた一人の老人がやってきます。
その老人は青年に、上記の三つの道を説きます。
青年は、その教えに感謝し、老人に礼を言います。
老人は、にっこり微笑んで、そして青年に尋ねます。
「そこで、お前さんは、どの道を生きるおつもりか」と。
青年は、しばし地面を見て考えます。そして、その問いに応えようと顔を上げます。
そこに老人の姿はもうありません。
青年は再び一人になります。
そして、また、歩き始めます。でも、少ししっかりとした足取りで。
青年は独り言のように、先ほどの老人に話すかのように、言います。
「どの道も私の生きる道なのです。でも、折々にいずれの道にいるべきかを知らねばなりません。」