生き方、生かせ方の問題
巨大な根がはびこっている
その行方は分からない
地上で生まれ枯れてゆく枝々の先に
無数の死体はぶら下がり
それはやがて地に落ちるその下に
巨大な根がはびこっている
(谷川俊太郎「マリファナ」の一節より)
私たちは根っこを離れては生きられません。
しかし、私たち人間は根っこを離れるリスクを負って生きています。
それは知性を持っているからです。
知性は、崇高なもののように思えますが、それだけで生きることができるわけではありません。
なぜなら、人間がどれほど偉く思えても、私たちは生き物の一つに過ぎないからなのです。
学問をする人たちの犯す罪は、彼らが熱心にその仕事をすればするほど、根っこを切り落とす作業をすることにあります。
難しいことを知らなくても、市井の人たちのなかには、簡単にそのおろかさを見抜く人たちもいます。
また、学問をする人々に限らず、世間からちやほやされる人たちは、根っこを切られようとします。いわゆる浮ついた人間になってしまうかもしれないのです。
私たちは、折々に、私たちの根っこを意識しなければ、よりよく生きられないし、時には破壊的生き方をすることになったりするのです。それは個人でも社会でも同じことです。
現代は、根っこを大事にする生き方を嘲笑する風潮があるように思えます。
世の中は常にそうですが、その本流にいると、やがて根っこは切られます。
自分の生き方を大事にするというのは、青年期でも成人期でも、生きている限り難しいことですが、しかし大切なことです。
なぜなら、これもまた、根っこからしっかり生きることだからです。
世間がどうであれ、折々に自分を見つめ、自分を生きるべく生きることこそ、大切なのです。
その行方は分からない
地上で生まれ枯れてゆく枝々の先に
無数の死体はぶら下がり
それはやがて地に落ちるその下に
巨大な根がはびこっている
(谷川俊太郎「マリファナ」の一節より)
私たちは根っこを離れては生きられません。
しかし、私たち人間は根っこを離れるリスクを負って生きています。
それは知性を持っているからです。
知性は、崇高なもののように思えますが、それだけで生きることができるわけではありません。
なぜなら、人間がどれほど偉く思えても、私たちは生き物の一つに過ぎないからなのです。
学問をする人たちの犯す罪は、彼らが熱心にその仕事をすればするほど、根っこを切り落とす作業をすることにあります。
難しいことを知らなくても、市井の人たちのなかには、簡単にそのおろかさを見抜く人たちもいます。
また、学問をする人々に限らず、世間からちやほやされる人たちは、根っこを切られようとします。いわゆる浮ついた人間になってしまうかもしれないのです。
私たちは、折々に、私たちの根っこを意識しなければ、よりよく生きられないし、時には破壊的生き方をすることになったりするのです。それは個人でも社会でも同じことです。
現代は、根っこを大事にする生き方を嘲笑する風潮があるように思えます。
世の中は常にそうですが、その本流にいると、やがて根っこは切られます。
自分の生き方を大事にするというのは、青年期でも成人期でも、生きている限り難しいことですが、しかし大切なことです。
なぜなら、これもまた、根っこからしっかり生きることだからです。
世間がどうであれ、折々に自分を見つめ、自分を生きるべく生きることこそ、大切なのです。