2011-01-01から1年間の記事一覧

自分を小さな存在にしないように

自然の生意には厳粛な理法がある。 その生意は、 人間の場合にも働いているのに、 人は私意によって、 それを無視しようとする。 自身を小さくしてしまうのは、人自身なのだ。

人を気にする

人(の目)を気にするというのは、 人に謗られたくない、 悪く言われたくないと思う心が働くからだ。 裏を返せば、 よく思われたいという私欲がそこにある。 人に怯えて、己の道を見誤るな。 そこにある私欲に気づけ。

不幸だと思う

「自分を不幸だと思い込み、不満をつのらせた結果、怠惰や妄想の世界に逃避する」 これは150年ほど前のスマイルズの著書(『自助論』(『西国立志編』))にある言葉だ。 自分を不幸だと思い始めると、怠惰な道を歩き始めるというのもわかる。 自分を不幸だ…

何のために生きるかを考える?

何のために生きるのか、とか、 何のために生きているのか、と考える人がいます。 あるいは、 何のために生きるのか、とか、 何のために生きているのか、と考える時が、人にはあります。 こういうのは、生きる姿勢が衰えている時であろうと思えます。 現に生…

人間に生まれて

まあ、こういうことを考えるのって、あまりないかもしれませんが、 自分が犬やネコではなく、人間として生まれているってこと、 こんな素敵なことはないのですよね。 まあ、犬やネコや雀や鳩や、そんなものをぼんやりと眺めていて、 あいつらはいいなあ、な…

父母(ちちはは)、子について考える

人の心から、己が父や母への思いを消し去ることができるでしょうか。 父の顔を知らず、母の顔を知らずとも、人は父・母への思いを消すことはできません。 母を失い、父を失って、遠く歳月を経ても、それでも母・父への思いは消えることがありません。 父・母…

自身の価値観を大切に生きる

人として生まれて、自身の価値観を大切にして生きなければ、それはそれはもったいないことのように思います。 ここでいう自身の価値観というのは、もちろん私利私欲のよる価値観ではありません。 真の価値観というものは、きっとどの人の本来的な心も頷(う…

後悔という病

後悔先に立たずと言う。 「後で悔いても取り返しがつかない」ということだが、だからといって処理すべきものはやはりそれなりに事後でも、いや事後であるからこそ、しっかりと処理しなければならない。 仕事の上のことなどは、まさにそうだろう。 一方、心の…

仁について考える

「仁」という字は、人の名によく使われている。 といっても、最近の人の名にはあまり使われない。 それは、おそらく、戦後の占領政策によって、教育の改変が行われ、人の道を教えることがあいまいにされてきた一つの結果だろう。 現在、「仁」という語の字義…

ディベートと人の判断価値と共存の原理

人間の価値判断(判断価値)というものは、すべて主観に出で、随って相対性を免れ得ない・・・(したがって)・・・たとい自分の説が是であると思っても、人から見れば非となり、人の説が非だと思っても、その人には是である。だからわが説を固執して論争し…

子供の教育と人のモデルについて

人格者などという言葉を、今の小中学生のどの程度が知っているだろうか。 また、青年たちの誰もが知っているのだろうか。 教育の場でも、ほとんど使わない言葉になっているのだろうか。 ましてや仁者などという言葉は、さらに知らないのではなかろうか。 も…

生かしきれていない力

私には、 まだ生かしきれていない潜在能力がある。 せっかくの能力も、磨く努力をしなければ死んでいるも同じである。 日々にやらんかなの意欲が大切である。 (cf.守屋洋『新釈伝習録』) 「私には」のところは、「あなたには」でもよいのでしょうが、 しか…

こころの内奥に

こころの内奥、すなわちこころの奥の奥のところに何があると見るか。 そこに、性欲的エネルギーの源泉たるリビドーなるものを見た、歴史に残る人もいます。 一方、同じ西欧人で、こころの内奥の、その深遠なるところに、大いなる自己を見た人もいます。その…

こころの大元のところ

人のこころの大元のところは何か? 人とこころとを切り離さないならば、 それぞれの「私」の、その大元のところは何か? 水は流れ、 火は燃え、 人は親を思い、子を思う これは本質的に当然であり、 善でもなく悪でもないが、 しかもその本体は絶対至極非常…

自分を成長させる

ここで「成長させる」というのは、もちろん自分を人間的に成長させるということです。 その作業は、自分が死ぬまで続けることができます。 金が十分になくとも、病の身であろうとも、若くとも、老齢であろうとも、仕事が忙しくとも、その作業は生きている限…

父親

父とは、どういうものか。 宮本輝は、次のように書いている。 それは、「こうあるべきだ」というのではなく、「自ずとそうなのだ」と書いているのだろう。 アレクサンドル・デゥマは『モンテ・クリストフ伯』のなかで主人公のエドモン・ダンテスにこう言わせ…

わが国の有り様

・・・今までの文明・文化は、特に近代文明・近代文化というものは、主として男性的であった。そのために今日のような頽廃・破滅に頻してきたということができる。したがってこれを救うものは女でなければならない。女性文明・女性文化でなければならない。…

安心を得る

「何事のおはしますかは知らねども」「心だに誠の道に協(かな)ひなば」それで好いのである。 この「誠の道」を学ぶ機会を、得ていかねばならないと思います。 私利私欲に陥らず、曲学に陥らず、己のみを高めるでなく、学び、生きねばならないと思います。 …

一生を生きる

とかく人間というものは、自然の悪意に苦々しげな不満を漏らすものですね。 短い一生に生まれつくうえ、そのわずかな持ち時間さえ瞬く間に過ぎていく、自然とはなんと意地の悪いものか、と。 ほぼ例外なく誰もが、まさに生きようとしているそのときに、人生…

忙しさのなかで失われる

高度情報化社会の恩恵はまことに大きい。しかし、終末の予兆をおもわせる社会現象があいつぐなかで、我々は快適さの代償として、他事多忙に追われ、何が人間としてもっとも大切であるのかをつい忘れ(させられ)てしまう。生きながら死んでいる。そのことの…

長所・短所の見方

他者の見方、下の者の使い方、上の者からの使われ方、職場の同僚とのつきあい方、家族の中での育ち合いの仕方などに、多少の参考になるかもしれない。 ここに、相手の短所長所の見方についての一つの見解がある。 長所を見ることに七の力を用い、欠点を見る…

物として生きない

心、太虚に帰して、然る後に実理始めて存す。太虚に帰せざれば、則ち実理埋没し了(おわ)つて物と異ならず、夫れ人にして物と異ならざるは、恥ずべきの甚だしきものなり。 (大塩中斎『洗心洞箚記』) 実理は、もちろん実利ではありません。 実は、真実です…

物として生きる

人はものではない。 その通りです。でも、人が人をものとして使い、使われています。 仕方がありませんね。効率的ということを考えてごらんなさい。効率性は、無駄をなくすということです。少ないエネルギー、少ないコストで、より高い効果、より大きな成果…

有限と無限のなかに

無限のものを有限の中に見出した時の感激は何ものにも譬えられない。 (岡田武彦『陽明学つれづれ草』) 「私」は、有限と無限のなかにある。 しかし、それは、個々それぞれの「私」がそうなのだ。 生きとし生けるものがそうなのだ。 さらに言えば、あらゆる…

人がどう生きようと

それなりの人間が、人がどう生きようが知ったことではない、と公言したら、世間の心やさしい大勢の人々から反発を買うことだろう。 しかし、他人(ひと)の生き方をあれこれ言うよりも、自身の生き方にいつも注意を向けていなければ、すぐさま頼りなくなるほ…

楽しむことと自分を生かすこと

至楽と身を生かすこと。ともに無為あい合して、万物の創造変化が行われる。無為は無不為、為さざる無きものである。(参:安岡正篤『老荘思想』) 楽しみには、高次なものも低次なものもある。 楽しみばかりを追求していては身を生かすことにつながらない。 …