有限と無限のなかに
無限のものを有限の中に見出した時の感激は何ものにも譬えられない。
(岡田武彦『陽明学つれづれ草』)
「私」は、有限と無限のなかにある。
しかし、それは、個々それぞれの「私」がそうなのだ。
生きとし生けるものがそうなのだ。
さらに言えば、あらゆるものがそうなのだ。
人と人、他人(ひと)と「私」、生き物と「私」、物と「私」、自然と「私」、あらゆるものと「私」との一体が、そこにある。
皆、消え行くものとして、そこに在る。
そこに、「憐れ」がある。
言葉で示せぬ悲しみがある。
しかし、また、そこに生成がある。生成の変化がある。生成の変化に参するところがある。
そこに、ものの尊さがある。
そこに、生けるものの尊さがある。
そこに、生成化育を知り、そのうちに生きる者の使命がある。
(岡田武彦『陽明学つれづれ草』)
「私」は、有限と無限のなかにある。
しかし、それは、個々それぞれの「私」がそうなのだ。
生きとし生けるものがそうなのだ。
さらに言えば、あらゆるものがそうなのだ。
人と人、他人(ひと)と「私」、生き物と「私」、物と「私」、自然と「私」、あらゆるものと「私」との一体が、そこにある。
皆、消え行くものとして、そこに在る。
そこに、「憐れ」がある。
言葉で示せぬ悲しみがある。
しかし、また、そこに生成がある。生成の変化がある。生成の変化に参するところがある。
そこに、ものの尊さがある。
そこに、生けるものの尊さがある。
そこに、生成化育を知り、そのうちに生きる者の使命がある。