長所・短所の見方

他者の見方、下の者の使い方、上の者からの使われ方、職場の同僚とのつきあい方、家族の中での育ち合いの仕方などに、多少の参考になるかもしれない。

ここに、相手の短所長所の見方についての一つの見解がある。

長所を見ることに七の力を用い、欠点を見ることに三の力を用いるのが大体当を得ていると思われるが、私は長所を見ることに九の力を用い、短所を見ることに一の力しか用いないので、ときどき失敗するのである。
部下もまた、これと同様に上位者の長所を見るように心がけて尊敬し、短所はつとめてこれを補うように心がけねばならない。もしこれに当を得たならば、良き部下となり上位者の真の力となるものである。
豊臣秀吉は主人である織田信長の長所を見ることに心がけて成功し、明智光秀はその短所のみに目がついて失敗したのである。心して味わうべきであると思う。
松下幸之助『わが半生の記録・私の生き方、考え方』)

九・一で見るか、七・三で見るか、あるいは六・四で見るか、相手である人物とその関係によっても変わってくるかもしれない。
まずは、上位者が下位者を見る場合には、というのが、ここでもっとも参考になるのだろう。

しかし、複雑な社会関係の中では、自身がその他者との関係においてどの位置にあるか、その他者との関係状況はどうか、その他者はどういう性格・行動傾向の持ち主かによっても、ここでいう見方は変えていかなければならないように思う。
それでも、方向としては、長所を見る方を大きくする方向性をもってであろうか。

一方、相手をつぶすということで考えるならば、相手の短所の方をしっかりと見て取らねばならないことは確かである。

大河ドラマでは再び織田信長が打たれるシーンが展開される。信長が生きていたら、日本の歴史はどうなっていただろうか。

大きな目で見れば、些細なところで歴史さえ変りかねないことを知る。また、些細なところで人を殺したり、自分を殺したりするほどのことを起こすことを知る。

大なる事は些細なところから始まるのは、誰もがよく知るところである。
些細なことでもあなどらぬように、心して生きなければならない。


人の長所・欠点の見方について、最後に一つ付け加えるなら、自身へのその見方は、自身の長所を見るのに九の力を用い、欠点を見るのに一の力を用いる、これは、傲慢に気をつければ、極めて有用に思う。大いに心すべきことと思う。