父親

父とは、どういうものか。

宮本輝は、次のように書いている。
それは、「こうあるべきだ」というのではなく、「自ずとそうなのだ」と書いているのだろう。


アレクサンドル・デゥマは『モンテ・クリストフ伯』のなかで主人公のエドモン・ダンテスにこう言わせている。
「(父と母)それは私に命を与えてくれた人」
と。
どのような父であろうとも、どのような母であろうとも、この二人がいなくては「私」は生を享けることはできなかったのだ。
昨今、これでも父か、これでも母かと慨嘆(がいたん)せしめるような人間による子への虐待がマスコミでしばしば報道されて、いかにもそんな父や母が急増しているかに思えるのだが、実際はどうなのか私にはわからない。もしそれが事実だとすれば、彼たちや彼女たちもまた自分の父や母にそのように育てられたのであろう。
しかし、大方の父と母は、自分たちに可能なかぎりの愛情と努力を注いで、子を育てている。子をいじめて死に至らしめるような父や母は大昔にもいたのだ。
ただ、父の愛情のあらわし方と、母のそれとは異なっている。父には父の役割というものがある。時代の変化によって、女性の働く場所や機会が増えようとも、父がまず為すべきことは、腹をすかせた雛鳥(ひなどり)に餌を運ぶことなのだ。まるでそのために生きているとしか思えない時期をほとんどすべての父は引き受ける。懸命に引き受けるのである。
宮本輝(選)『父のことば』)

男が歯軋(はぎし)りをし、拳(こぶし)を握って耐える裏には、さまざまなものがあるだろう。
しかし、たいていの男たちにとって、その「ふんばり」というところには、
意識せずして、俺には子があり家族があるというものがある。

父にしても母にしても同じくそうだと言えば、確かにそうなのだろうが、
父親のそれは、子にも妻にもなかなか見えにくいものである。
そして、父親本人にすらそうなのである。