物として生きる

人はものではない。

その通りです。でも、人が人をものとして使い、使われています。

仕方がありませんね。効率的ということを考えてごらんなさい。効率性は、無駄をなくすということです。少ないエネルギー、少ないコストで、より高い効果、より大きな成果、より高い価値を創り出すいうことです。物も人も同じように考えることで、効率性は生まれます。組織だって、社会だってよくなります。

自分自身にだってそうですよね。自分というものを効果的に生かしていくっていう考え方だって、できるでしょうね。

そうです。人生は短い。効率性の高い生き方をすべきです。

いったい、何のことだか、私にはよくわかりません。あなたたちは、本当にそのような生き方がよいと思っているのですか。本当に、あなたは、あなた自身を、そのように生きているのですか。そのような生き方を何時からはじめたのですか。それとも、そう思っているというだけなのですか。私には、そのような生き方を、人ができると思えません。他人(ひと)には言えても、自身がそういう生き方をし続けるなど、できっこないと思います。

なぜですか。限られた人生を無駄なく生きるというのは、間違っていないでしょう。なぜ、できないというのです。それは、意志の問題でしょう。

私には、人間が考える無駄というものと、いのちのあるものの無駄か無駄でないかの考え方を同じにすることはできません。いや、考え方というよりも、そもそも、いのちは考えて生きられるものではないのです。

また、君のわけのわからん話が始まったな!