わが国の有り様

・・・今までの文明・文化は、特に近代文明・近代文化というものは、主として男性的であった。そのために今日のような頽廃・破滅に頻してきたということができる。したがってこれを救うものは女でなければならない。女性文明・女性文化でなければならない。にも拘らずその女性が男性の影響を受けて、男性と同じような思想や行動、感情に走っていく。女が男の真似をして男と同じように頽廃・堕落していくということは、これは民族の致命的現象であります。
安岡正篤呻吟語を読む』、1971年講義録)

ここで語られた内容は、昭和46年のものである。
社会を悪くしていっているのは女性ではないか、現代の女性たちの生き方ではないか、と思えてしまうのは私ばかりではないのかもしれない。

しかも、しっかりとした、賢い、よく勉強をした、よく勉強をする機会を得た女性たちではないか、などと考えて見たりもするが、こんなことを言うと、きっと弁の立つ賢い女性たちのお叱りを受けるのだろうなあ。

欧米追従は、日本の近代化からである。もう少していねいに言うと、当初はわずかながらにも和魂洋才という考え方があったのだから、次第しだいに変ってきたのである。そして、戦後はいっそうそれが徹底したのだろう。
しかしそれは、洋魂洋才へ徹底して舵を切るべく叩きのめされたと言うべきなのかもしれない。東洋の小国が、頭を突き出したことへの、対応であろう。

そう考えると、1800年代に頑張って、欧米に飲み込まれないで生き抜くべく我が国を支え躍進させた多くの人々の生命と努力、そこにあった自負心が、あの戦争でずいぶんと台無しになり、その根を奪うごとくに変貌させられたのかもしれない。

上述の引用部分は男と女の話だが、その前後では、男を陽とし、女を陰として、陰の役割の大切さを言っている。
陰が陰として、しっかりとした役割を発揮するようになるには、まだまだ時間がかかりそうである。