父母(ちちはは)、子について考える

人の心から、己が父や母への思いを消し去ることができるでしょうか。

父の顔を知らず、母の顔を知らずとも、人は父・母への思いを消すことはできません。

母を失い、父を失って、遠く歳月を経ても、それでも母・父への思いは消えることがありません。

父・母から、どれほどひどい仕打ちを受けても、父を慕い、母を慕う心は、なくなるものではありません。

虐待を受けていながら、父母をかばう子どもがいることを、私たちは知っています。

子が母を慕い、父を慕う心をもつのは、人として自然のことです。

それが、人としてのあたりまえの心であるが故に、人はその心を生涯大切にし、世代を超えて保持し続けなければなりません。


一方、父や母の心というものはどうでしょう。

子どもから虐待を受ける父や母がおりますが、その父や母にも、虐待をする子をかばう心があります。

子どもから乱暴を受けておりながら、それを告げない親がいることを私たちは知っています。

我が子と遠く離れて生活する親は、子が日々に健康であることを祈る心をもっています。

わが子が先に逝ってしまった親は、神や仏を呪うほどに、あるいは我が生あるを恨むほどに苦しみます。

このように、人の親となった者は、我が子への思い、我が子を慈しむ思いを、失うことはありません。
そして、この心も人として自然なものです。


子が親を思う心と親が子を思う心、これらの根は同じです。

そして、人は子であり、また親でもあります。

ここに、人としての生き方のもとがあります。

その心があって人であることを知り、その心をもって生きることで、自身をより人として生かしめることになると思います。