楽しむことと自分を生かすこと
至楽と身を生かすこと。ともに無為あい合して、万物の創造変化が行われる。無為は無不為、為さざる無きものである。(参:安岡正篤『老荘思想』)
楽しみには、高次なものも低次なものもある。
楽しみばかりを追求していては身を生かすことにつながらない。
一方、身を生かすことばかり考えていては、楽しみにつながらない。
両立できることが至楽となり、至善となり、身を生かすことになる。
身を生かすとは、万物の造化に参することであり、讃することである、そしてそれぞれの「私」はそのように生まれている。
これができてこそ喜びがあり、本当の快があるに違いない。しかし、その喜びは歓喜するものではなく、静かで穏やかなものに違いない。
意を働かし過ぎてはいけない。
楽しみには、高次なものも低次なものもある。
楽しみばかりを追求していては身を生かすことにつながらない。
一方、身を生かすことばかり考えていては、楽しみにつながらない。
両立できることが至楽となり、至善となり、身を生かすことになる。
身を生かすとは、万物の造化に参することであり、讃することである、そしてそれぞれの「私」はそのように生まれている。
これができてこそ喜びがあり、本当の快があるに違いない。しかし、その喜びは歓喜するものではなく、静かで穏やかなものに違いない。
意を働かし過ぎてはいけない。