何のために生きるかを考える?

何のために生きるのか、とか、

何のために生きているのか、と考える人がいます。

あるいは、

何のために生きるのか、とか、

何のために生きているのか、と考える時が、人にはあります。


こういうのは、生きる姿勢が衰えている時であろうと思えます。

現に生きている以上、何のためにというのは、決して前向きとはいえません。

一見前向きのようには、見えるのですけれどね。

当のご本人は、まったく前向きだと思ってしまっている。そこが怖いところです。

本当は、前向きなんてとんでもないのです。



考えねばならないのは、「何のために」ではなく、「如何に」ということなのです。

如何に生きるかを考えるべきなのです。


まあ、これだって、考えているばかりでは生きていると言えるかどうか。

あんまり考えるようなら、

「しっかりせい!」と、一言自分に言いなさい!