自身の根本を見失わぬように

「生きるということの根源に触れ」つつ、「自分につながった命をいつくしむという生活」をして行きたい。(かぎかつこ内は、灰谷健次郎さん「エッセイ集2」から) そのためには、地から足を浮かせた生き方をしないようにすることだ。地に足をズボズボと埋め、…

いのちは懸命に生きている

どんな人でも、そのいのちは懸命に生きています。 その点では、いのちあるものは皆すべて同じです。 小さな虫も、草花も、動物たちも、そして人間も、みんな同じです。 でも、人間だけが、自身の懸命に生きているいのちを、汚したり、絶ち切ったり、輝かした…

絶望と人生の歩み方

「立身出世と競争社会だけがすべてと思って生命を賭けても、それは無常、空に裏打ちされた架空の幻想であることを絶えず知っていなければならない。人間の一切の営為(いとなみ)のなんと空しいものであることを腹の底に置いて置かなければならない」 「かく…

知を肥やし、知を使い、自身も人も軽薄にする

物が砕かれ、さらに細分化されてゆき、心の分裂がいっそう激しく深まってゆく。 それが人間の認識と呼ばれるものの高度化の実態である。 より多く、より深く、より正確に知るという意味は、物心の深刻な分裂以外の何ものでもない。 (福岡正信『無 Ⅱ「無の哲…

いのちの彷徨いを突き抜ける

「死ということを物差しにして、何が本物か、何が虚飾のものかを厳しく見分けて取捨選択する生活」(畑山博『生きるのが不器用な人へ』)をすることが大切です。 しかし、おそらく、それはそう簡単にはできないのだろう。 たとえ、この言葉に関心があっても…

真剣勝負と自身の有り様

真剣勝負というとスポーツの世界でよく経験することでしょう。しかし、それは何もスポーツの世界だけではなく、日常の生活の中にもあることですし、厳しく言えば、生きていることがそもそも真剣勝負と言えるかもしれません。 しかし、とりあえずは体の動きを…

感謝の言葉を口にする

「九つまで満ち足りていて、十のうち一つだけしか不満がない時でさえ、人間はまずその不満を真っ先に口から出し、文句をいいつづけるものなのだ。自分を顧みてつくづくそう思う。なぜわたしたちは不満を後まわしにし、感謝すべきことを先に言わないだろう。…

人生の答え探し

人生の答え探し 当然ですが、それはもちろん、算数の答えやテストの問いの答えを見つけるようなことではありません。 そこには他人(ひと)が、あるいは誰しもが正しいとする答えがありますが、人生の答えは、そういうものではないからです。 「答え」は常に…

自分本位と調和的生き方、農と自然

一つの作物を育てると考えたとき、一つのものを育てようとして集中した心(愛)は、当然周囲のものを除去せねばならない心(憎)をも発生せしめている・・・(福岡正信、無(Ⅲ)自然農法) これは、人間が他者に対して、また、他の物に対してとる行動のすべ…

死と生と

「天意に従って生きている人は、死期が近づくとはっきりわかるのだそうだ。」・・・ ・・・「俳聖松尾芭蕉も、病い癒えがたしと悟ってから、飲食(おんじき)を断って臨終を迎えている。昔の人は来世に旅立つ折は、積極的に食を断って身体を清めることが安ら…

考え過ぎ、思い過ぎ

いまさらどうにもならない過去にこだわったり、また直面しない未来に怯えても無意味なことなのです。そうすればするほど、一歩も前進できなくなります。それよりも目の前にある「今」に取り組むことこそが、「生きる」ということでしょう。(松野宗純『人生…

自分自身をしっかりと

時代を先取りすることや、時代遅れになることを気にせず、不動の原点をつかもうとすることこそ、いつも大切にしていなさい。 この言葉は、自然農法の実践をした福岡正信さんの言葉を参考にしています。 「不動の原点をつかむ」と言うと、自分が自分の外の世…

満足と不満足

いまあるもので、 いまのもので、 いまで、 充分, と知れば、 今を生きていることの豊かさを知ることになる。 (参・『老子』四十六章(加島祥造『タオ』)) 老子のこの章は、政治社会状況のことを含めて言っていると思えるが、まあ、老子が本来言おうとし…

縁結び

縁結びのお願いということがある。 縁にもいろいろあるが、縁結びを求めるのは、誰しも良い人との出会いの縁を求めているのである。 いわゆる良縁を願うのである。 しかし、よくよく考えてみると、出会うことだけで良いというものではない。 大切なのは、む…

生きている根拠

この世は確かに「苦」であり「無常」であろう。つくり出された根拠は脆(もろ)いに違いない。だからこそ、私たちはそれをつくり続けなければならない。(南直哉『語る禅僧』) 「私たち」を「私」とするともっとその内容を自分に引き寄せられます。 「根拠…

暮らしの姿勢

ここでいう「暮らしの姿勢」とは、日々を「生きる姿勢」のことだ。 学道の人はただ明日を期することなかれ。今日今時ばかり行じて行くべきなり。(正法眼蔵随聞記巻の五より) 本来のものは「・・・仏に随って行じて行くべきなり」となっているが、ここでは…

のんびりと

「少しは不便でもいいから、もっとのんびりさせておいて貰いたい」 尾崎一雄氏は『まぼろしの記・虫も樹も』のなかで、そう書いているそうだ。 目をつけられると、人は、あるいは行政も、巻き込もう、巻き込もうとする。 それぞれの人が、それぞれに、それな…

気にせずにこつこつと歩む

自分が良しとする道をこつこつと歩む。 それは自分だけにしかわからない道かもしれません。 もし、それを励ましてくれる人がいるなら、それはたいへん喜ばしいことです。幸せなことだと言えます。 しかし、その人だって、いつかいなくなるかもしれません。い…

自分を成長させようとする意志を日々にもち続けること

何事があっても臨機応変、自由自在に雄々しくたくましく善処していけるというのは、精神的根底、私という人物の養成を常に心掛けてこそ成るものである。(参:安岡正篤) 放心とという言葉がありますが、放心とは成長しようとする私から離れていくことでもあ…

一番大切なもの

一番大切なものは、なんですか。 それから、続いて大切なものはなんですか。 そういう本当に大切なものの数は、5本の指に納まるでしょう。 3つくらい数えられたら、もう数える必要も、考える必要もありません。 何といっても、それらがとっても大切なものだ…

苦しいことばかり

人生は困難なことばかりだ、とでも思っておきなさい。 人生とは、砂山を登るように、次から次に困難が落ちてくるものです。 砂粒ほどのものなら良いが、時には身を潰すほどのものまで落ちてくる。 まあ、人生とはそんなものだと思っておきなさい。 必ずやそ…

永遠の生を生きている

私は死なない、と言う人がいる。 私は生き続ける、と言う人がいる。 私の生は永遠の生を生きているのだ、と言う人がいる。 このように言う人は現在もいるし、過去にもいた。過去の偉人たちのなかにもいた。 福岡正信氏の文面を借りて表現してみよう。 たいて…

主体的生き方

・・・拘束のなさを、世からもう必要とされなくなったと思って孤独感・無力感に陥るか、この自由を完全なる解放として楽しむか、それはその人次第でなることで、はたからはどうしようもない。が、僕は、なろうことなら後者の生き方のほうがどんなによいかし…

自分の時間

自分の時間といっても、いろいろと考え方があるだろう。まあ、それぞれ、好きなように考えるといい。 われわれの時間の一部はわれわれからもぎ取られ、別の時間は知らぬ間に持ち去られ、第三の時間はわれわれから流れ去ってしまったのです。なかでも最もはず…

自分を許さない

「自分を許さない」というのは、自分を責めることでもあります。 しかし、それでは大いに説明不足です。むしろ、常に自分を省みる、といった方が、よりかなった説明になると思えます。 それをもっと強くいえば、「常に自分を厳しく省みる」ということになる…

私の本体

「心の本体は天理であり、しかも天理はただ一つです。」 (吉田和男氏、陽明学) 「心の本体」と言うのがわかりやすいのかもしれませんが、これは我が身を引き離した表現ですから、生きている私というところからは、「私の本体」とする方が、より実際的にな…

私を不自由にする私

趙州の前に出て一人の弟子が問答をしかけた。「私は何ですか」と尋ねた。師はやにわに弟子の胸ぐらをつかまえて「お前は誰だ。さあ言え、さあ言え」と迫った。ところが弟子は目を白黒させるのみであったのを見て「この糞馬鹿野郎」と言って彼は立ち去った・…

私と環境

環境が人を変える。もちろん、その考えは正しい。 環境によって、私は変わった。もちろん、その考えは正しい。 変わるのにも、いろいろある。 良く変わるのならよいが、悪く変わる場合もある。 問題なのは、悪く変わる場合だ。 私が悪く変わってしまった、と…

行動を起こす

勉強をすればわかることは、勉強すれば済むことです。 実行しなければわからないことは、実行すればよいことです。 (吉田和男;陽明学) 弱い者、弱い時に限って、実行すれば済む時にいらぬ思考を始めるのです。 知らない知識が欲しければ、勉強をすればよい…

人生過程において必要な学び

人の一生、人の人生のうちには、戦闘と同じような場面、まるで自分の生き死にに関わっているかのごとき場面に出会うことが、必ず幾度がある。 そういうときに必要なのは、「(それは)何であるか」よりも、「(私は)何を為すべきか」なのである。(参:加地伸行…