いのちの彷徨いを突き抜ける

 「死ということを物差しにして、何が本物か、何が虚飾のものかを厳しく見分けて取捨選択する生活」(畑山博『生きるのが不器用な人へ』)をすることが大切です。

 しかし、おそらく、それはそう簡単にはできないのだろう。
 たとえ、この言葉に関心があっても、ただの関心に終わってしまう人が多いことだろう。

 しかし、それらの人のごくごく一部に、少しはそれを行動にし、生活を変えていく人がいる。
 人々とはそういうものなのだ。

 そして「私」はどういう人として生きるのか。
 その生き方を決めるのは、その「私」自身なのだ。しかし、慌ててはいけない。
 
 死は、このいのちのなかにある。
 死がなければ生もない。生がなければ死もまたないのだ。
 そして、「私」は生きている。死をもって生きているのだ。

 「私」は、ただ「私」の生だけを、生きているのだ。

 「私」にとって、何が本物かが見えるようになっていってほしい。