考え過ぎ、思い過ぎ

いまさらどうにもならない過去にこだわったり、また直面しない未来に怯えても無意味なことなのです。そうすればするほど、一歩も前進できなくなります。それよりも目の前にある「今」に取り組むことこそが、「生きる」ということでしょう。(松野宗純『人生は雨の日の托鉢』)

考え過ぎ、思い過ぎの真っただ中にいる人は、そのことにすら気付かないで、「考え」、「思い」を繰り返しています。

たとえば、食事の時ですら、箸を止めて考えていたりします。しかも、意味もなく考えているということがあります。こういう状態は、自身の主体を希薄にしている姿でもありましょう。

まず、今やるべきことを、自身の主体を意識して、することです。

食事をするという行為もそうです。トイレに行くこともそうです。寝床から起き上がることもそうです。着替えることもそうです。

これらは、主体を取り戻すことでもあります。
そうすることが、今をしっかり生きることでもあります。

考え過ぎ、思い過ぎは、現実の今をしっかり生きれない状況を、自分で自分に作り出すのです。

こういう傾向にある人は、日々、やるべきことをやる、という実践から、自分を改造してゆきましょう。