私と環境

環境が人を変える。もちろん、その考えは正しい。

環境によって、私は変わった。もちろん、その考えは正しい。

変わるのにも、いろいろある。

良く変わるのならよいが、悪く変わる場合もある。

問題なのは、悪く変わる場合だ。

私が悪く変わってしまった、という場合にもいろいろある。

暮らしが悪くなってしまった、心がひねくれてしまった、鬱々とした生活を送るようになってしまった、うつ病になってしまった、などなど・・・。

環境が、わたしを変えたのだ。私が、環境に変えられたのだ。

心から始まり、脳の機能に変異を起こし、そのために薬を飲むようになってしまった。

環境が脳の機能を、ある意味まずく変えたのだ。

さて、そこで、嗚呼なるほどと納得していては、それまでだ。薬という環境に頼るばかりにも私がなりさがる。

私は環境本意なのか。そこに、すでに私の希薄化がある。
そんな私でよいわけはなかろう!

環境が私を変えたなら、私が環境を変える道もあるのだ。
それこそ、主体たる私が生きるということだ。

しかし、偉そうに環境を変えようなどと思わなくとも良い。

要は、行動を起こすことなのだ。
自らが行動を起こせば、何事かが変わる。これが環境の変化となるのだ。

それは、私が変わることによって、環境が変わる、ということでもよい。

私が変わることによって、私の脳が変わる、もありなのだ。

私と環境、環境と私、それはこういうものなのだ。

くれぐれも、主体たる私が希薄にならぬように!