真剣勝負と自身の有り様

真剣勝負というとスポーツの世界でよく経験することでしょう。しかし、それは何もスポーツの世界だけではなく、日常の生活の中にもあることですし、厳しく言えば、生きていることがそもそも真剣勝負と言えるかもしれません。
しかし、とりあえずは体の動きを伴う勝負の話。
古い教えに、次のようなものがあります。それは、剣の世界の話です。

「あなたは真剣勝負をするときに、心をどこにとめるか、心をどこに置くか。相手の剣先に置いてはいけない。自分の剣先に置いてもいけない。相手の手許に心を置いてもいけない。自分の手許に置いてもいけない。相手の目にとらわれてもいけないし、相手が強いと考えてもいけない。負けまいと思ってもいけない。無念無想、なんにも思わず、どこにも心をとめず、しかも四方八方に気を配っておれ。そうすれば相手の動きによって臨機応変、自由自在に働かれる」(「不動智神妙録」(山田無文『今を生きる』))

これは、沢庵禅師が柳生但馬守に与えた教えですから、現代では、剣道をしている人にはよく理解できると思います。しかし、剣道だけでなく、スポーツをしている人にもわかるでしょう。それだけでなく、様々な習い事をしている人にもよくわかるはずです。真剣に取り組んでいるときの、あるいは何かに挑戦しているときの心の置きどころ、自身の有り様を言っているのです。

山田無文さんは、一般の人に向けて、例えとして、車の運転をしているときの心構えにも適用できることと、卑近な例えで示しています。
カウンセラーの心の置きどころとして、ずいぶん昔、どなたかが書いていたようにも記憶しています。

しかし、以前どこかに書いたと思いますが、人生には小さな勝負から、大きな勝負まで、様々に勝負の場面があります。勝負の場面ということがわかりにくければ、人生過程における緊張の場面と考えてよいです。
この沢庵禅師の教えは、そういう緊張場面の心の置きどころを示す教えとして学ぶことができます。
そういうとき、自分がどうあればよいかということです。

もちろん、この教えは日々に経験(修練)を積むという努力と共にあることですが、それでも生きていることそのものにも言えることです。

なお、さらにこの教えの本来のところを言えば、自分自身を信頼せよ、ということでもあります。
事にあたって、おまえは自分自身を信頼できないでいるではないか、自分を信頼せよ、ということなのです。