いのちは懸命に生きている

どんな人でも、そのいのちは懸命に生きています。
その点では、いのちあるものは皆すべて同じです。

小さな虫も、草花も、動物たちも、そして人間も、みんな同じです。

でも、人間だけが、自身の懸命に生きているいのちを、汚したり、絶ち切ったり、輝かしたりします。

なぜなら、(大抵の)人は、自身を自覚的に生きているからです。

しかし、この自覚が仇(あだ)となって、自身の懸命に生きている、そのいのちの懸命さを、見えなくしてしまったり、歪めて見てしまったりします。

そうすると、虫や草花や動物たちよりも、(それ自体が)懸命に生きているいのちを、粗末にすることになってしまうのです。

自身の自覚的生き方の有りようが、懸命に生きているいのちを絶ち切りもするし、衰えさせもするし、歪めもするし、また、輝かせもするということです。

いのちは、考えて生きているわけではないのです。