努力すべきこと

人道は勤るを以て尊しとし、自然に任ずるを尊ばず、夫(それ)人道の勤むべきは、己に克(かつ)の教なり、己は私欲也、私欲は田畑に譬れば草なり、克つとは、此田畑に生ずる草を取捨るを云、己に克つは、我心の田畑に生ずる草をけづり捨、とり捨て、我心の米麦を、繁茂さする勤也、是を人道といふ(二宮尊徳


私欲に克てば、米麦は繁茂するといいます。

米麦の芽を摘むのも、繁茂させるのも、自身なのだということでしょう。

米麦の芽も、米麦も、既に自身に在るのだということです。

それを枯らさぬように勤め、また、育てるように勤めることを尊ぶ、ということです。

それは、自身を尊ぶことでもあります。

自身の生を尊ぶことでもあります。

自身を生かすことでもあります。

自身を世に生かすことでもあります。

生を真に全うすることでもあります。

私欲を失くせとは言っていません。

私欲は出てくるものです。

出てきた私欲はけづり取りなさい、と言っているのです。

この勤めを、己に克つことである、と訓えているのです。

この「己に克つ努力」を、尊い人の道と訓えているのです。

そして、それをすれば、自身の米麦は繁茂するのです。

その米麦の実りは間違いなくあなたのものであり、また、あなたの周りの人々のものになるのです。