一体の観と分別

内外合一、物我一体の観は誠による(参:中庸)

私の内と外、物と私、他者と私、これらの区別のない世界に自らの誠がある。あるいは自らの誠がそれらの区別をなくす。

しかし、分別の知が勝ちすぎると、自らにある誠の輝きを鈍らせ、一体を失わせる。

しかしまた、分別の知が軽んぜられると、あるいは万物一体を分別知で知り、その知に従うばかりでは、他の餌食、私利私欲の輩の餌食となる。