自分自身であること

自分が真に自分自身であるように

「私」というものが、正に私自身であるように

「私」の軸足は、正に私自身になければなりません。

「私」は「私」でありながら、しかし、その「私」の軸が「私」の外、「私」以外のところにあることの方が多いのです。


外物によって 我在る者は、外物の転変に曳かれて 動転し 錯乱する。
安岡正篤『旅とこころ』)