常人は

常人は則ち虚を失へり、焉ぞ之を語るに足らんや。(大塩中斎『洗心洞箚記』)

「常人は」というのは、大抵の人はということでよいのでしょう。
「虚」は「太虚」。これは本来失われるものではない。

大抵の人は、心の大本、その人の「私」の大本を見失っているので、説明しても十分に伝わらないということでしょうか。

大塩さんの悔しい思いのようにも聞こえてきます。大塩さんの歯軋りが聞こえてきそうです。

考えてみますと、1800年代前半にしてそうですから、現代はというと・・・ひょっとするとまだよいのかもしれません。
あるいは、現代も昔も、そう変わらないといえるのかもしれません。

そして、人は、けっこうずっと、そうなのでしょう。

そうしたなかで、人はいつの時代に生きようとも、自身がいかに生きるかが問われるのです。
そして、それを問い続け、実践し続けることを求められるのが、人であり、人の生なのです。

自身の大本を見失わず、しっかりと生きようではありませんか。