涙の出どころ

人は理屈なしに、涙がこぼれるようにありたい。われわれは理屈がぎっしりつまっておるから、涙の道が塞がって、なかなかでてきません。(山田準『陽明学講話』)

ここでいう涙は、清き涙です。
そういう涙を流すことのできる自身を、大切にしなければなりません。
もちろんここでいう大切にするということも、理屈の上のことではありません。
そういう涙を流す自分を、大切に生きなさいということでもあります。
理屈で考える者は、どうしても利己的な自分というものが付きまとって離れないでしょうが、ここでいう清き涙に、彼我の区別はないのです。
これは、我が身に具わる純なるものです。
私たちは、我が身に具わる純なるものを汚すのに、一生懸命生きているようなところがあります。
純なるものが汚れぬように、一生懸命生きる道もあるのですが、そういう生き方をしないことが当たり前のようになっているのが、今の多くの私たちなのかもしれません。
我が身の清きものを、しっかりと把持することです。

山田準氏は、西行法師が詠んだ歌を添えています。

何事のおはしますかは知らねども 
かたじけなさに涙こぼるゝ