心の統一とは書きましたが、やはり、「心の」はないほうがよいのでしょう。
統一作用を伴わない分化には、成長はなく、存在性もない。
そういう自身の生や存在性を知る時、そこに神聖さを感じ、自身の生に尊厳性を抱くのです。
そして、「私」を、また、「私」を含む諸々のものに対する敬や恩を思うのです。
もし、そういう心をもち続けるならば、その人の生き方は、さらに成長をもたらすものになるはずです。
(参考:相良亨『日本人の心と出会う』)
こういう心は、学校教育の場で学び、教わることがあまりないでしょうから、ある程度の年齢になれば、自分で学んでいかなければなりません。