人としての道を歩む

人としての道を歩み、なおかつ、それをつくってゆく。

それを、最後までできることが、よい人生なのだろう。

そして、最後の最後には、大いなるものに委ねるようにして、その人生を終えられたなら、

やはり、これが人の道に違いない。


二宮尊徳は言う。

自然に行われること、これが天理である。人は天理に従わねばならない。天理に反したのでは一日も生きてはいけない。しかし、その反面人為を大いに働かせていかないと、これまた一日も生きてはいけないのである。
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老子は、この天道と人道との矛盾のようなところに目をつけて、「これこそ真の道(原理)であるといえるような道は、絶対不変の固定した道ではない」といったのは一応無理ではない。
しかし、この身体を保つためにはどうしようもないではないか。老子はこんなことをいいながら、やっぱり自分も、米を食い着物を着、家に住んでいたのではないか。それなのに、人道を道とすべき道ではないなどと決めるけるのは、老子の間違いというべきである。(二宮尊徳
(福住正兄『久遠の道標』)