自己実現と助け

自己実現という言葉はいつごろからよく使われるようになったのだろう。

わかっているようで、うまく説明しにくい。

また、聞いていて、わかっているのかなあと思うときもあったりする。

創造的存在としての人間、大きな可能性を秘めた存在としての人間であるがゆえに言えることではあるだろうが、あらゆる生命体に対しても用いられたりもする。

自己実現も、自力救済の考え方で強調して用いられることもある。

確かに誰しもに自己実現力なるものがあるとすれば、自己実現も自己救済もその者の力によると言えばそうなのだが、その者のおかれている環境というものも無視できない。

人への究極の助けがその人の自己実現だというなら、そして、もし自己実現がこころのありようだと考えるなら、その人の環境は考えなくてもよさそうだが、助けのかかわりそのものがすでに環境であるのだから、疑問が残る。

その人の自己実現力の大小だって考えねばならぬ。


さて、自己実現とは。

どうも、なかなか正しく概念規定できるものではなさそうだ。そして、それでよい。


伊藤隆二さんは次のように説明している。

自己実現とは、単なる成長発達とも違うし、なんらかの業績をあげることとも違う。成長・発達や業績は、ある外在する尺度、ないし基準に照合して測定される場合が多いが、自己実現とは、むしろ反対に、いっさいの基準をはずし、その人その人のあるがままがそのままをそのままに、創造的にまっとうすることである。これは現実の社会や集団基準への到達を目指す適応主義の立場とは、はっきり異なるものである。(伊藤隆二「精神薄弱児・者の自己実現への援助度からみた判定基準(私案)」)