偽善者と悪魔

「嘴細烏(はしぼそがらす)は、死んだ羊を見て泪(なみだ)を流し、やがてそれを食ってしまう。・・・人間は、こういう不埒(ふらち)をするものだ。信心らしい面(つら)付きと殊勝らしい行体(ぎょうたい)で、悪魔根性に口あたりのよい外皮(ころも)を掛ける。」(福原麟太郎『人生十二の知恵』)

偽善とは、偽善者とは、こういう者だ。

偽善はどの人間にもみられるが、そのように成った人間がいるから、世のなかは怖い。

できることなら、こういう人間には近づきたくないが、

偽善者を見抜く力をもちながら、こころやさしく接する者に、こういう者は近づきたがる。

まさに、悪魔根性がこの者を生かしているのである。

その赤く汚れた舌が、真実を知りながらもなおやさしい人の心を、舐(な)めたがるのだ。